金メダルを獲得した金藤理絵(27=Jaked)はレース後、「いろいろあった(北京五輪からの)8年間でしたが、加藤コーチの支えだけじゃなく、一緒に練習した仲間、戦ってきた平泳ぎの選手、家族、加藤コーチの家族にも応援してもらった。世界の頂点を狙ってやって良かった」と涙声になった。加藤コーチと出会った07年から浮き沈みの激しかった約9年半の道のりを振り返る。

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 07年2月、グアムでの日本水泳連盟の代表強化合宿で、東海大の加藤コーチに原石は発掘された。東海大入学が決まっていた広島・三次高3年の金藤は、きつくなればなるほど、体が動いた。加藤コーチからは「将来的に(女子200メートル平泳ぎの世界記録の)2分19秒台は出せる。世界のトップになれる」と言われた。

 08年4月の日本選手権。北京五輪選考会を兼ねたレースで2位に入り、五輪代表入りを決めた。五輪では予選で自己ベストを出して7位入賞。加藤コーチとは「次のロンドン(五輪)は金」と誓い合った。その後、高速水着時代の波にも乗って09年には日本記録を3度出した。順風満帆だった。

 だが、突然のアクシデントに襲われる。10年4月の日本選手権の1週間前、腰に激痛が走った。椎間板ヘルニア。五輪中間年で高速水着も禁止となった。筋トレで肉体強化を図っていた最中の悪夢。日本選手権に強行出場した後は約4カ月、泳げなかった。夏に復帰したが、この頃、加藤コーチにも変化が起きる。「泳げなくなったらどうしようと、遠慮し、臆病になった。自分はガンガンいくタイプなのに」。1回の泳ぎ込み時の練習量は1万メートルから8000メートルに減った。筋トレも禁止。金藤からもかつての勢いは消えた。

 12年ロンドン五輪選考を兼ねた4月の日本選手権。ラスト50メートルで2学年下の鈴木聡美と、当時15歳の渡部香生子に抜かれた。2位渡部に0秒27差の3位で五輪切符を逃した。金藤の頭には初めて引退の2文字がちらついた。

 加藤コーチも「コーチを辞めよう」と水泳界から去ることを考えた。ロンドンの4年前の北京五輪選考会では、金藤の先輩で、当時は男子の北島のように本命視された田村を落選させた。今度は金藤。「恋愛も犠牲にさせ、食事も制限させ、『俺の言うことを聞け』とやってきた。もう俺はいない方がいい。俺がコーチでなければ、あいつは五輪に行っていた」と思い詰めた。食事はのどを通らなくなり、83キロの体重は69キロまで激減。冬になって、ようやくうつ状態からは脱したが「燃えたぎるものはなかった」。教え子の秘めた可能性への思いだけが、切れそうな心を支えた。

 金藤は、周囲からの励ましもあり「あと1年」と思って臨んだ13年世界選手権で4位。緊張から、なぜか練習水着でレースに出てしまった。レース後は涙を浮かべ「次は考えていない。1つの区切りにしたい」と引退を示唆した。

 ただ、この時、加藤コーチには初めて金藤を見たグアム合宿での気持ちがよみがえっていた。間違って練習用の水着で出場しながら、ラスト50メートルは銀、銅メダリストのタイムを上回った。「こいつは世界を狙えると改めて思った」と加藤コーチ。必死で引き留められた金藤は、やるやらないで言い合いになり、最後は「やればいいんでしょ。やりますよ」と言っていた。

 14年4月の日本選手権で、金藤は国際大会の代表から漏れたら引退という条件で現役を続行した。「代表入りしないことが理想」だったが、中途半端な気持ちのまま、2位以内の選考基準を満たし、代表に選ばれた。8月のパンパシ、9月のアジア大会では渡部に次ぐ銀メダルを獲得。加藤コーチから「おまえはやっぱり世界の頂点に立てる」と言われた。当初は今度こそ辞めようと新たな働き口を探したが「この1年は全力でやっていなかった。もう1回100%全力で頑張ってみよう」と思い直した。加藤コーチに「去年より速く泳ぐ」「渡部香生子に勝つ」「世界選手権メダル」を条件に掲げ、1つでも条件を満たさなければ現役を辞めると宣言した。

 条件付きで再スタートを切った15年も、8歳下の渡部の壁は厚かった。4月の日本選手権は1秒差の2位。8月の世界選手権では渡部の鮮やかな金メダルの一方、初のメダルを逃し、過去最悪の6位。しかも3位が3人同タイムで5位までが表彰台に上がった。条件は1つも達成できない。どこまでメダルに縁がないのか。だが、引退は口にしなかった。

 「順位やタイムより、消極的で情けないレースをした。引退したら、あれが最後のレースになる。みっともない。納得したレースで終わりたい」。

 加藤コーチも高校時代からの泳ぎを再分析し、独特の伸びのある泳ぎからピッチ泳法に改造した。ヘルニアを患った時から続いた遠慮も取り払った。「平気で怒鳴りつけている。すねて逃げ続けていた理絵も向かってくる」。秋から師弟ともに、再び本気になって世界の頂点を目指し始めた。

 五輪イヤーを迎えると、その成果が出る。2月の3カ国対抗戦では世界歴代5位の2分20秒04と、高速水着時代の09年自らの出した日本記録を7年ぶりに0秒68更新した。加藤コーチに「2分19秒台を出せる」と言われてから9年。一時は「その言葉が信じられず、どうせ出ないと思っていたが、今は出せると」。

 4月の五輪代表選考兼日本選手権は2分19秒65と日本人初の2分19秒台、世界歴代5位の好タイムで優勝。6月からは標高2100メートルの米フラグスタッフで約1カ月間の合宿を経てリオに入った。五輪は、今度こそ最後と決めている。「加藤コーチからは『おまえは9年間、サボっていた』と言われるが、最後と決めたからここまで(練習で)攻めることができた」。

 加藤コーチに師事して10年目。自らを信じ続けてくれた恩師にやっと恩返しができた。【田口潤】