バドミントン混合ダブルス3位決定戦で渡辺勇大(24)、東野有紗(24)組(日本ユニシス)が3位決定戦で同13位の■俊文、謝影雪組(香港)を2-1で下して銅メダルを獲得した。同種目で日本勢初の表彰台で、渡辺はバドミントンの日本男子で初のメダリストになった。日本勢のメダル獲得は2012年ロンドン大会から3大会連続。ただ、期待された日本勢で、これが今大会最初で最後のメダル獲得となった。女子シングルスで奥原希望(26=太陽ホールディングス)、山口茜(24=再春館製薬所)はともに準々決勝で敗退。日本勢の東京五輪が終わった。

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激闘を制しての銅メダル。渡辺はコートにあおむけになってガッツポーズを繰り返した。駆け寄ってきた東野に気付くと、立ち上がって抱擁。先輩の頭をなでた。「メダルを取るのと取らないのとでは、やっぱり全然違う。東京五輪でこうしてメダルを獲得できて誇りに思う」と渡辺。東野は「本当に幸せだった。勝てない時期もあったが、頑張れた」と涙ぐんだ。

2人からは、「遠藤さん」への感謝の言葉が続いた。同じ日本ユニシス所属で、男子ダブルスでは渡辺とパートナーを組む34歳の遠藤大由。前日の男子ダブルス準々決勝で敗れ、メダルの夢は消えた。だが、ベテランは戦いをやめなかった。「切り替えてやろう」などと助言してくれた。2人は「3人で取ったメダルだと思う」と強調した。

東京出身で24歳の渡辺と、北海道出身で1学年上の東野は、バドミントンの強豪、福島・富岡第一中で出会った。東日本大震災が発生した11年3月はそれぞれ中1と中2だった。学校は原発事故発生現場からほど近く、それぞれがいったん実家に戻り、不安な日々を過ごした。生活と練習の拠点を福島県猪苗代市に移して約2カ月後に部活動が再開。翌年、2人はペアを結成した。進学した富岡高でも息の合ったプレーを見せた。高校卒業後すぐ実業団に入った東野に誘われ、渡辺も進学せず、日本ユニシスへ。ずっと2人で戦ってきた。

国際大会で安定した成績を残せるようになったのは、18年に日本代表で指導を受けるジェレミー・コーチの存在が大きかった。コミュニケーションの重要性を説かれた。長く一緒に過ごす先輩後輩。知り尽くしているはずが、実は知らなかった。そこに気付かされた。東野は「自分が勝手に想像していた勇大君と違った。勇大君の考えてることが大人すぎて、自分が頑張らないといけないと思った」。意思疎通の向上により、19年世界選手権で日本勢としてこの種目初の銅メダルを獲得。世界有数のペアへとステップアップした。

被災から10年後の復興五輪で、不振だった日本勢を救う唯一のメダル。第2の故郷への思いを、混合ダブルスと男子選手では日本初のメダルという形で、しっかり結実させた。

※■は登るの右に郊のツクリ

○…東野が小学生時代に「チーム岡部」で指導した岡部明元代表(42)も教え子初のメダル獲得を喜んだ。仕事の昼休みにテレビ観戦し「2ゲーム目序盤にリードされたとき、このままだと3ゲーム目は危ないと思っていた。しっかり追いついて勝ってくれて良かった。本当によくやった」。準々決勝終了後には電話で話し今後のことも話題に上った。「次の五輪も目指すと。3年後1位になるには、今3位の方が重圧が少なくて良いのでは」とパリでの金メダルを期待していた。