侍ジャパン森下暢仁投手(23)が、大仕事をやってのけた。米国との決勝に先発。初回から150キロ超えの直球とカーブのコンビネーションを中心に、1つ1つ着実にアウトを積み重ねていった。「村上の本塁打で取ってもらった1点を、何とか守ろうという思いで必死に投げました」。4回まで二塁を踏ませず、5回を3安打5奪三振で無失点。役割を完璧な形でまっとうし、悲願の金メダル獲得をグイッと引き寄せた。

高校、大学と日の丸を背負い、数多くの国際舞台を経験してきた。中でも右腕が「一番記憶に残っている。学生にとっての五輪みたいな感じでした」と話すのが、明大2年時に初めて大学で代表入りした17年のユニバーシアード(台湾)だという。米国相手に予選ラウンド、決勝の2試合に先発。決勝では「絶対に勝って帰らないといけない」と、7回2安打無失点と快投。日本を世界一に導いた。

森下がプロでも駆使する「緩急」を学んだ大会でもあった。明大1年時に3学年先輩の中日柳から教わり、縦に鋭く曲がるカーブを習得。当時代表でも監督を務めていた明大の善波達也前監督(58)は「強い真っすぐがある中で、特にあのカーブは国際大会でも通用するボールだった」と振り返る。森下は「善波さん、柳さん、チームスタッフから『緩急が使えると抑えやすい』と言ってもらって、うまく使えました」。五輪決勝という大舞台でも、持ち味を存分に発揮した。

総力戦となった米国戦について森下は「アメリカとは野球の国と呼ばれる国。パワーもありますし、力では抑えられないなということは感じた。(稲葉)監督が作り上げたチームでまとまって戦っていけたことが、日本が僅差で勝てた要因じゃないかなと思います」と振り返った。そして「メジャーの野球を見る機会はありますし、憧れる舞台だと思う。本当に自分も目指したい場所だなと思います」と、公の場では初めて、将来的な米大リーグ挑戦の可能性について言及した。

会見の最後には「自分はプロ野球に入って来る時から球界を代表する投手になりたいと思って入ってきた。まずは今の広島東洋カープのチームを引っ張っていけるような、しっかりとした投手になっていけるようにやっていきたい」と決意を新たにした。

日本を背負い、数々の修羅場をくぐり抜けてきた若き侍戦士が、東京五輪で大役を務めあげた。【古財稜明】