初出場の田中亮明(27=岐阜・中京高教)が男子フライ級準決勝で19年世界選手権5位のカルロ・パーラム(フィリピン)に0-5の判定で敗れ、3位決定戦がないため、銅メダルとなった。16年リオデジャネイロ五輪のメダリスト3人を撃破する快進撃。同級でのメダルは60年ローマ五輪銅メダルの田辺清以来61年ぶり。男子では12年ロンドン五輪の村田諒太、清水聡以来6人目となった。

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試合後の取材エリアでの出来事だった。「最後まで倒そうとする意志を貫けたか」と田中に聞くと、ちょうどその後方を、拳を交えたパーラムが通過した。頭をなでられ、今度は笑顔を交わす。「あいつを倒したかったですけど、うまかったですね」。その言葉は真っすぐだった。

「最高の気持ちでした」。それが戦い終えて思うこと。1歩も引かないという今大会の誓いは、準々決勝までの3戦と同じ。バックステップを踏まない。前に詰めて、打ち込む。「倒してやる」。意志はリングに満ちた。ただ、相手が巧みだった。的を外され、的確なパンチをもらう。2回までが終わり、ジャッジ5人が敵を支持していた。

最終回、倒す意志は加速した。時に大ぶりになりながら、声を上げながら、パンチ1発1発に込めた思いが高校時代に重なった。岐阜・中京高でたたき込まれたのは「倒すことが全て」。不可解判定を避けるには、ダウンを奪えばわかりやすい。指導した元東洋太平洋スーパーフライ級王者の石原英康さんは「殴るか殴られるかを、あえてしていた」と振り返る。プロより大きいアマチュアのグローブでは3分×3回で倒すのは難しいとされるが、関係なかった。

同年代にはあの井上尚弥がいた。アマ時代の対戦成績は4戦4敗だが、「1度も引かなかった」と恩師は証言する。駆け引きなし。その姿がぶれたのが、出場を逃した16年リオ五輪後。周囲の説得で現役続行を決めたが、負けない試合をしようとカウンター派になった。コロナ禍の1年、弟で3階級制覇の世界王者、恒成とトレーナーを務める父斉さんと久々に練習をともにした。そこで「原点回帰」とも言える「倒す」意志を取り戻した。

「最高の気分を味わえた。五輪があったから。関係者のみなさんに感謝したい」。すがすがしさを胸に、リング上でお辞儀した。プロで世界王者となった弟と違う道を選んだ1つの結末。意志を貫いた拳を突き上げて思った。「最高の景色だな」と。【阿部健吾】