男子フルーレの敷根崇裕(23=ネクサス)が初出場で4位に入賞した。個人では08年北京五輪の太田雄貴(銀メダル)以来3大会ぶり2度目の表彰台を狙ったが、3位決定戦でホウペニトフ(チェコ)に8-15で敗れた。メダルは逃したものの新型コロナ禍の中、約9キロの減量に成功。速さと体力と手応えをつかみ、8月1日の団体戦では日本勢悲願の金メダルを目指す。

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敷根が力尽きた。日本協会の太田前会長以来の個人4強。銀メダル以上の歴史を自国で新たに刻もうとしたが、準決勝で前回リオ五輪金のD・ガロッツォに、3位決定戦で196センチのホウペニトフに敗れた。「すごく悔しい。何で(メダルを)取れなかったんだ」と首をかしげたが、初舞台で堂々の3勝。準々決勝では12年ロンドン大会銀のアブエルカセムに競り勝ち「太田さんの銀を超えたい気持ちが強い」と燃えていた。

壁は高かったが、コロナ禍の大会延期を機に肉体改造した。昨秋、日本協会の太田会長(当時)と食事した際に「走れ!」。はじめは5キロも無理だったが、1日10キロに伸び、約4カ月で183センチの77キロから68キロに絞った。「俊敏性も体力も自信もついた」。五輪前、最後の国際大会となった3月のグランプリ(GP)ドーハ大会では銀メダル。GPの表彰台は太田氏以来11年ぶりで、五輪でも大先輩以来の4強に食い込んだ。

日本協会の強化本部長だった父裕一さん(55)を自宅で突いた4歳のころから剣を握ってきた。10歳の時に見た北京五輪で太田氏の胸に銀が輝くと、敷根少年は無邪気に目標を語ったという。「じゃあ誰も取ってないのは金メダルだね」。

メダル獲得こそ逃したが、太田氏や協会の新会長に就いたタレント武井壮が無観客の会場に駆けつけた中、快進撃。借りは8月1日の団体戦で返す。10歳のころから夢だった金メダル獲得のチャンスが、まだ残っている。【木下淳】