喜友名諒(31=劉衛流龍鳳会)が、故郷沖縄に初めての金メダルをもたらした。決勝でダミアン・キンテロ(37=スペイン)と対戦し「オーハン大」を選択して28・72点で勝利。表彰式で遺影を抱き、一昨年2月に57歳でなくなった母紀江さんに約束した優勝を報告した。今大会採用された空手での初金メダルを、米国からの返還前で64年東京五輪に参加できなかった沖縄県に届けた。

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喜友名は、表彰台の中央に上がるとジャージの下から写真を取り出した。金メダルを望み、夢見ていた母の遺影。「実際に見てもらいたかったけどかなわなかったので、五輪の舞台を見せてあげたかった」。右手で抱いた遺影を、胸にメダルに近づけた。自分を支え続けてくれた母との金メダルの約束を守った。

決勝は「オーハン大」。自身の流派で、一歩動く間に複数の技を繰り出し、四方へ連続して蹴りを放つ。師の佐久本嗣男氏は「今日は満点をつけたい」とした。沖縄発祥の空手で「最後の金メダル空白県」に初の栄冠をもたらした。

5歳で空手を始め、中2で全国大会の形で優勝。中3で劉衛流に入門した。女子団体形で活躍した“姉弟子”豊見城さんは「目がくりくりしてかわいかった。大舞台でも堂々として、心臓に毛が生えているんじゃないかなと思った」。佐久本氏の練習は過酷だった。「稽古のなかで一瞬でも気を抜いたら、死を意味すると思え」。365日休まずにけいこすることを約束した。15年たった今も、愚直に約束を守り続けている。

形の絶対王者だが、学生時代は組手で試合にも出ていた。現在でも道場で打ち込みはする。分厚い胸板で、相手を圧倒したという。同門の後輩、上村拓也(29)は「フィジカルが強いので、相手がぶっ飛んじゃう。組んだとき『岩』と感じた。動かない」と舌を巻く。そんな男が妥協なく、形に全精力を注いできた。

剛直なだけではない。表現力の向上を目的に、琉球舞踊を取り入れた稽古も恵贈する。「柔らかい膝の使い方や力の入れ方の強弱、目線の使い方などは空手に生かせる」。沖縄の空手と伝統舞踊を融合させて金メダルをがっちりつかんだ。

「沖縄の歴史を刻むことができてうれしく思う」

その上で「五輪は一番注目されるところ。沖縄の伝統が世界に広がって、空手が愛されていることを伝えたれたと思う」。故郷に帰ったら、母の墓前で優勝を報告する。

 

<喜友名諒(きゆな・りょう)>

◆経歴 1990年(平成2)7月12日、沖縄市生まれ。興南高-沖縄国際大。

◆野球少年 小学時代は空手と野球を掛け持ち。ポジションはサードやレフトなど。中学から空手一本。

◆師匠 中学3年時に、世界選手権3連覇などの実績を持つ劉衛流の佐久本嗣男氏のもとに入門。

◆頭角 大学3年時に全日本学生選手権で優勝。4年時に国際大会に挑むが、2位や3位止まりが続く。

◆世界一 14年世界選手権で初優勝。その後、16年18年と3連覇し、恩師の佐久本氏の記録に並ぶ。

◆主な演武形 アーナンダイ、オーハンダイ、オーハン、アーナン。

◆カラオケ 姉弟子の豊見城あずささんによれば、「喜友名は歌が上手。声が高く、西野カナの『トリセツ』を歌ったりもする」

◆身長、体重 170センチ、80キロ。