五輪の感動は、テレビ映像とともに心に残る。思い出のシーンを際立たせるのが、アナウンサーによる実況だ。視聴者の興奮を倍増させ、永遠に記憶に残すのが実況席からの言葉。「テレビ五輪」のスタートと言われる1964年東京大会から今まで、心に残る名実況を振り返る。

「オリンピックの実況」と聞いて、誰もが思い描くのは2004年アテネ大会体操男子団体だろう。日本の最終種目鉄棒で、最終演技者の冨田洋之が降り技に入った瞬間「伸身の新月面が描く放物線は、栄光への架け橋だ!」と、日本中の視聴者に向かって着地の前に金メダルを伝えた。

冨田の完璧な演技、体操ニッポンの復活、NHKの同大会テーマソングが「栄光の架け橋」だったことも手伝い、この実況は伝説になった。内村航平が「あれ以上にみんなを感動させることはない」と言うほど、実況が名場面を作った。

刈屋富士雄氏は数え切れないほど聞かれた質問に「用意していたわけではない」と答える。それでも、演技中に冷静に点数を分析、鉄棒の演技前には「復活への架け橋」が使えると思い、他国との点数差を計算しながら「栄光への」が浮かんだという。

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1964年東京大会バレーボール女子決勝では鈴木文弥(ぶんや)アナが名実況を残した。当時は今と違ってサーブ権がある時だけ得点になる「サイドアウト制」。同アナはサーブ権を得るたびに「金メダルポイント」を計6回使った。本来は「マッチポイント」だが、国民の金メダルへの強い思いをストレートに表現した。

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古くは1936年ベルリン大会競泳女子200メートル平泳ぎをラジオ実況した河西三省アナ。激しい優勝争いを「前畑ガンバレ、ガンバレ前畑」と叫び続けた。実に23回の「ガンバレ」。日本女子初の金メダルに国民は大興奮し、この実況はレコード化までされた。

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1988年のソウル大会競泳男子100メートル背泳ぎでは、鈴木大地が金メダルを獲得。世界記録を持つバーコフ(米国)を逆転するために潜水スタートのバサロの距離を伸ばすという秘策を、島村俊治アナは「潜っている、まだ潜っている」と、その驚きを伝えた。

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五輪のテレビ放送はNHKと民放各局がジャパンコンソーシアム(JC)を構成して共同制作している。実況は、各局えりすぐりスポーツアナが担当。東京都に緊急事態宣言が発出され、競技のほとんどが無観客となった今大会。テレビの前で名実況が生まれる瞬間も、またドラマになる。【荻島弘一】

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