来年の東京五輪で、森保一監督率いる日本チームはメダルを狙います。前回、メダルに輝いたのは半世紀以上前の68年メキシコシティー大会。釜本邦茂、杉山隆一らを擁し、ブラジル、スペインと引き分け、フランスに勝っての快挙でした。ただ、これら強国は「アマチュア」だったのです。

五輪では長くプロの参加を禁じていました。欧州や南米でプロリーグが盛んだったサッカーも同じ。日本代表も「プロが出場するW杯の予選に出たら、五輪の出場権を失うかも」と、62年W杯チリ大会予選の出場を辞退したほどです。

五輪は「アマの世界一決定戦」でした。勝つのは社会主義の東側諸国。国家から報酬を得る「ステート・アマ」の国が上位を占めたのです。64年大会から80年大会まで、68年の日本以外メダル獲得国はすべて東欧勢。西欧や南米の西側諸国にとって五輪は「どうでもいい大会」だったのです。

プロ解禁は、84年大会から。ただ、トップ選手全員が出場してしまうと、W杯と同じになってしまいます。「トップ選手による大会」にしたいIOC(国際オリンピック委員会)と「W杯の権威を守りたい」FIFA(国際サッカー連盟)が対立。結局「欧州と南米各国でW杯とW杯予選に出場した選手は除く」となりました。

92年大会からは「23歳以下」となり、96年大会から「OA(オーバーエージ)3人を認める」となり、今に至ります。ただ、国によって五輪への取り組み方はさまざま。上位は主に南米勢とアフリカ勢。欧州勢は五輪と同じ年の欧州選手権を重視するため、23歳以下であっても優秀な選手ほどA代表を優先するのです。

大会の1年の延期で、東京五輪は「24歳以下」になります。日本にとってアドバンテージ(と思っています)。久保、堂安、冨安ら主力はもちろん、多くの若手は1年で大きく成長します。チームの「経験値」は過去大会以上。もちろん、他の国も同様ですが、欧州では選手の成長がA代表優先で五輪代表を離れることにつながるはず。日本は1年でチーム力が確実に上がりますが、他の国も上がるとは限らないのです。

68年メキシコ大会以来、男子サッカーはメダルから遠ざかっています。12年ロンドン大会は4位ですが、メダルの有無で大違いなのが五輪なのです。「地元の利」に1年の「時の利」をプラスすれば、2度目の表彰台に上がることも決して難しくありません。【荻島弘一】