組織委担当としてメインプレスセンター(MPC)に詰めている。

毎朝2時間ほどある定例会見の後、食堂で1600円の金メダルバーガーを食べる日々なのだが、何百人もいる各国メディアから全く話しかけられない。5年前は違った。リオ五輪のMPCでは嫌になるほど声をかけられた。

テレビ朝日のドラえもんとテレビ東京のピカチュウという希少ピンパッジが私の胸に輝いていたからだ。五輪には世界中の観客、関係者が記念バッジを交換する友好文化がある。1896年の第1回アテネ大会で始まった説があるが今回、大会ごとのバッジ製作を見送った弊社は輪の外だ…。

コロナと無観客の影響も大きい。例年は国内外のコレクターが集まって路上に“交換所”と人の山ができるが、今年は密対策で「警備に追い払われる」と愛知県の愛好家。代わってネット売買が増えており、五輪感を味わいづらくなった。

バッジだらけのブレザーを着るチュニジアのマノウビ氏とも再会。父子で計14度目の五輪取材を迎えた写真家だが、確かに新作が少ない。なのに、リオで渡した日刊スポーツのキャラクター「ブル男」ピンは外されていた…。MPCで「東京(ビッグサイトの冷房)の風」を浴びながら思った。「さびしいなぁ」(ブル男の口癖)。【木下淳】