1968年メキシコ五輪銅メダリストの杉山隆一氏(80)が、準決勝に臨む日本代表にエールを送った。ドリブルを武器に日本代表の攻撃を担った「黄金の左足」は、チームの能力を高評価。銅メダルを塗り替えることを期待した。

杉山 もう半世紀以上前なんだから。早く上回ってほしいね。銅メダルをとった後、ヤエさん(八重樫茂生主将)が言った。「誇るのはいいが、人に自慢はするな。我々は運がよかっただけ。すぐに塗り替えられる」って。53年も前、いまさら釜本、杉山じゃない。

明大時代に東京五輪に出場し、先輩たちにまじってエースとして活躍した。パスにドリブル、左ウイングの位置から、中に切れ込んでの右足シュートも得意だった。若さやプレースタイルが、久保と共通する。

杉山 黄金の左足って、僕は右利きだよ(笑い)。久保はいいね。前はテクニックはあるけれど、ひ弱な感じがした。今は堂々とプレーしている。大会を通じて強くなっていると思う。

準々決勝ニュージーランド戦は静岡の自宅でテレビ観戦。その戦いぶりに、苦言も呈した。メキシコ五輪では準決勝でハンガリーに0-5と大敗。ズルズル敗れた記憶があるだけに、先制点の重要性を説いた。

杉山 決められる時に決めないと。トーナメントでは1つのミスが命取りになることを、もっと強く意識しないといけない。今の選手は僕たちよりもはるかにテクニックがある。ただ、精神面はもっと強くならないと。スペイン戦は先制点をとってほしい。ここまで来ると先制点の重みが違う。

メキシコ五輪後、サッカーブームが起きた。プレーする少年が多くなり、サッカーファンも増えた。だからこそ、期待は大きい。

杉山 今の力を出し切れば、銅どころか金メダルも十分ある。記録を塗り替えて、これからの少年にアピールしてほしい。サッカーのよさを伝えて欲しい。

◆杉山隆一(すぎやま・りゅういち)1941年(昭16)7月4日、静岡県生まれ。袖師中でサッカーを始め、清水東3年時に日本代表候補に初選出。明大を経て66年に三菱重工入り。五輪2大会に出場し、79年に現役引退。74年にヤマハ発動機(現磐田)の監督に就任し、87年から総監督。その後、磐田のスーパーバイザーを務める。

◆68年メキシコ五輪の日本 長沼健監督が率いたチームはナイジェリアとの1次リーグ初戦にFW釜本の3得点で3-1と快勝。ブラジル、スペインと引き分け、1次リーグを2位で通過した。準々決勝もフランスを3-1で下して4強入り。準決勝は金メダルを獲得したハンガリーに0-5と大敗したが、3位決定戦では地元メキシコに杉山-釜本のホットラインで2得点。2-0で勝って、銅メダルを獲得した。釜本が7点で得点王に輝いた。