東京五輪開幕まで、24日であと半年に迫った。16年リオデジャネイロ五輪競泳男子400メートル個人メドレー金メダル萩野公介(25=ブリヂストン)は、24日に開幕する北島康介杯(東京辰巳国際水泳場)に出場する。昨年はモチベーションの低下を理由に春先の休養を経て、8月にレース復帰。復活の途上にある金メダリストは今、何を思うのか。胸の内に迫った。【取材・構成=益田一弘】

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萩野の言葉に迷いはない。半年後に迫った東京五輪の出場権は確保していない。4月の日本選手権で一発勝負の代表選考に臨むが、その口調に悲壮感はない。

萩野 去年は自分の中でうまくいかないことはあったが、今はやるべきことがたくさんある。簡単に言えば、伸びしろ。できないことができるようになる。これが今はすごく楽しい。

かつてはうまくいかないことを自分で探して不安になった。減点方式の思考回路が今、変化しつつある。

萩野 今は加点方式。ものごとをプラスにとらえられる。これができたなら、次はこれができると考えられる。以前は自分の中で悪い部分を見つめる癖がすごくあった。今はどっちみち悪いところからスタート。いいところをちょっと見ようと思えるようになった。

昨春にモチベーションの低下を理由に、3カ月の休養。6月中旬に初めて泳いだ日が忘れられない。

萩野 水にちゃぽんと入ることを繰り返して、体を慣らした。そして最初に200メートル個人メドレーを泳いだ。3分45秒ぐらいかかった(萩野の日本記録は1分55秒07)。女子選手に抜かれ、はるかかなたにその姿。バタフライで50メートル泳ぐのが苦痛で、本当にしんどくて、きつかった。「動いていなきゃ、そうなるよな」とさすがに笑いが出た。

タイムは正直で容赦がない。それが心を軽くした。

萩野 体力もゼロになったが、気持ちもゼロになった。フラットに考えるようになって、もう1度やると決めた。ならば、五輪で求めるのは表彰台の真ん中。

復帰後も水泳は容赦がなかった。日本代表候補入り基準タイムは三度目の正直で昨年11月に突破した。年が明けても復活の途上だ。それでも強い自負がある。

萩野 僕が自信を持っているのは、僕が一番いい泳ぎをしたら絶対誰にも負けないということ。結果的にそうなる。世の中にはいろんな人がいる。「休んだから厳しいんじゃないの?」とか「もういいんじゃないの、そこらへんで」とか。でも復帰した時に「できないよ」という人の意見は聞かないと決めた。僕はやると思ったらやれる。信じられることはそれしかない。

五輪イヤーの抱負を漢字で「一」とした。昨年は「泳」を選んだが「休むの『休』でしたね」と照れ笑いした後でこう口にした。

萩野 一番いい泳ぎ、順位の1番、そして「はじめ」の意味もある。やっぱり「一」。これだなと思う。