混合ダブルス決勝で水谷隼(32=木下グループ)伊藤美誠(20=スターツ)組が、日本卓球界初の金メダルを獲得した。

世界王者の許■(■は日ヘンに斤)(31)劉詩〓(雨カンムリに文の旧字体)(30)組(中国)に4-3で勝利。これまでの対戦成績0勝4敗だった強敵に、大舞台で勝った。無観客で地元開催の利を得られない中、中国選手団による約40人の応援団が中国国旗を広げ「加油(頑張れ)」と応援。アウェーの雰囲気が広がる中でも冷静に対応し、日本卓球史に歴史を刻んだ。

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水谷は日本卓球界の歴史を常に頭に入れて、競技を続けてきた。「自分たちの力で闇から抜け出す。また黄金期に戻したい」と強く思い続けてきた。

「最後に日本が世界チャンピオンになったのは1979年の小野(誠治)さん。そこから暗黒期が始まり、世界選手権優勝どころか、メダルすら取れなくなった」。88年ソウル五輪で卓球が新種目に採用されてからも復活の兆しはなかった。その翌89年、水谷はこの世に生を受ける。

日本の低迷期に現役生活をスタートさせる。青森山田中の2年時にドイツに卓球留学。「言葉も分からない上、ネット、携帯もない時代。今行くのとは全然違う」。練習場では不遇に遭う。年少者のため練習相手はいつも一番レベルが低い選手。「常に邪魔者扱い。若いし、弱いから仕方ないと思ってましたけど、絶対に見返してやると思っていた」。

水谷の後、20人以上がドイツを含む欧州留学に参加。「強くなりたいなら欧州へ行けという流れができた。自分らがドイツに行って成功したという自負がある」と振り返る。

狭い部屋で4人暮らし。水谷に個室はなく、リビングに布団を敷いて寝た。中2からの厳しい修行で世界と戦う自力をつけた。「逆に暗黒期があったから、また日本の卓球を光の中に戻そうと思えた。逆にありがとうと。30年間の闇から抜けだし、最近は男女とも活躍してきた。黄金期の歴史をまた自分たちで作ろうという気持ちがモチベーションになっている」。

2021年7月26日。水谷は最強のコンビ、伊藤を引き連れ、悲願だった王者中国を撃破した。金メダルの輝きが日本卓球界を照らす。振り向けば歩んできた長いトンネルは、はるかかなたにある。【三須一紀】