卓球女子シングルスで伊藤美誠(20=スターツ)が同種目の日本女子初となるメダルを獲得した。

3位決定戦でシンガポールのユ・モンユ(31)に4-1で勝利。88年ソウル五輪で卓球が正式競技になって以来、9大会目での快挙となった。準決勝では中国の孫穎莎(20)に0-4とストレート負け。初の決勝進出は中国の厚い壁に阻まれていた。伊藤は水谷隼(32=木下グループ)と組んだ混合ダブルス金メダルに続き、東京五輪2つ目のメダルを、19年以降、国際大会で中国勢以外の海外選手には負けなしの強さで手にした。

   ◇   ◇   ◇

「サーーー!」。あの時、卓球台の下に2歳児の楽しそうな声が響いた。時折、台の上にひょこっとラケットが見えるが、小さな伊藤の顔は台の下。ネットを挟んだ向こう側で、母美乃りさんがサーブを出す。反応して、横浜市長津田の公民館の床が「ダダダ」と音を立てた。2歳の伊藤が必死に、はるか高い位置にある卓球台に向け、しっかりと打ち返した。次の瞬間、母のコートにピンポン球がコツンと落ちた-。

これが、卓球シングルスの日本女子初となるメダリストの記念すべき1球目だった。それから20歳になる今まで、いったい何球を打ってきたのだろう。銅メダルをもたらした最後の1球は、気が遠くなるほど繰り返したサーブでの得点だった。

欲しかった金メダルは女王中国の前に夢と散った。同い年のライバル孫に力負け。第2ゲーム。9-3の6点リードを守れなかった。

7時間後の3位決定戦へ。「悔しさを抑え込んでも、悔しくて…」。準決勝の敗戦を引きずりつつも「勝って終わりたい」と気力を振り絞った。東京五輪の招致が決まった13年9月7日、「東京で金」を目標に掲げた少女は8年後、獲得した銅メダルを前に「うれしさ1、悔しさ99。金以外は皆、一緒…」と涙した。

長い道のりだった。団体で銅メダルを獲得した16年のリオ五輪後、同い年のライバル平野美宇が台頭。16年W杯で史上最年少優勝、17年世界選手権個人戦で48年ぶりの女子シングルス銅メダルと「ハリケーン美宇」が躍動していた。

「17年が一番きつかった。平野選手が活躍してて私も負けられないと思った。今思うと、私の結果が出なかったのは、そりゃそうだろうと。練習量も少ない、甘ったるいことも言った」

もう、そのころには戻りたくない。死ぬ気で卓球に向き合った。新型コロナウイルスの影響で延期となった1年間、足裏に血豆やアザができるほど練習した。小柄な体形を補うフットワークを身につけるため繰り返し、繰り返し、台幅1・525メートルの間を行ったり来たり。硬くなった足裏の皮が「本当に痛かった」。

誰もが認める練習の虫。「銅メダルだけど、支えてくれた母たちにありがとうと言いたい」。ロンドンで石川佳純、リオで福原愛が挑んで敗れた3位決定戦で、伊藤が歴史を変えた。2歳から、天文学的な数のピンポン球を打ち続けた末に。【三須一紀】

○…伊藤は銅メダル獲得後、母美乃りさんへ感謝の言葉を述べた。深夜2時を回っても、いつも宿舎でご飯を作って待っていてくれる母へ「私のために頑張ってくれていて、私もそのために頑張りたいとすごく思う」。だが、美乃りさんはいつも伊藤に「自分のために頑張ってきな」と言葉をかけるといい「この五輪は自分のために頑張ると決めている。団体戦で金を取るために、私が全勝します」と意気込んだ。