“癒やし系信金ガール”はメダルに届かなかったが、力は出し切った。女子49キロ級で城北信用金庫に勤務する山田美諭(27)は3位決定戦でティヤナ・ボグダノヴィッチ(セルビア)に6-20で敗れた。勝てば、日本勢のメダルは00年シドニー五輪女子67キロ級銅メダルの岡本依子以来、2人目となる快挙には1歩及ばず涙。ただ、前評判を覆す躍進だった。

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癒やし系の笑顔に、おしゃれな制服がよく似合う。城北信用金庫にアスリート職員として勤務する。練習が優先で、出社は週に1、2度ほどだが、電話対応、雑務、経費精算などの仕事をこなす。そんな人事部のお姉さんは、マットに立ち、道着をまとうと、表情が一変する。左足で鋭い蹴りをドンドン決めてくる。

山田は初の五輪で力を出し切った。初戦の2回戦は蘇栢亜(台湾)を追う展開が続き、残り40秒で逆転し、10-9で競り勝った。3回戦は17、19年世界選手権46キロ級覇者の沈裁盈(韓国)に16-7で快勝。波乱を巻き起こした。

日本選手で初めて進出を果たした準決勝は、世界ランク1位のパニパク・ウォンパッタナキット(タイ)に12-34に敗れた。その5時間後。運命の3位決定戦は、第1ラウンドの終了1秒前に上段蹴りで3点を奪い、5-5に追いついた。いい流れで同点にしたが、以降は、ボグダノヴィッチにペースを握られ、点差を広げれられた。表彰台には上がれなかった。

試合後は周囲への感謝を述べ、「メダルを持って帰ることで恩返しをしたかった。それがかなわず、本当に悔しい」。涙して、震える声を絞り出した。ただ、メダルを期待させる見せ場を作り、誇っていい結果だった。

実家は空手道場。幼少期から父啓悟さん(55)から指導を受けた。その経験を生かし、中学生からテコンドーに転向し、頭角を現した。ただ、決して順風満帆な競技人生ではない。16年リオデジャネイロ五輪の最終選考会では右膝の前十字靱帯(じんたい)を断裂。「自分が出る」と強い自信はあっただけに喪失感も大きかった。「辞めよう」とも思った。ただ、周囲の支えもあり、競技を続行し、厳しい1年以上のリハビリに耐えた。

今はこう言える。「辛い時も厳しい時も自分を奮い立たせて頑張っていた。5年間でここまで強くなれたのは、けがをしてきたからだと思う。今はあの経験をしてきてよかったと思う」。思い焦がれたメダルには届かなかったが、苦悩を経て、強くなった。【上田悠太】

◆山田美諭(やまだ・みゆ)1993年(平5)12月13日、愛知県瀬戸市生まれ。聖霊高、大東大を卒業後、16年4月に城北信用金庫に入庫。18年ジャカルタ・アジア大会で銅メダルを獲得。46キロ級も含め、全日本選手権を7度制覇。趣味は映画観賞。好きな食べ物はエビ。血液型はO型。167センチ。