3大会ぶりの五輪に臨むバレーボール男子日本代表で、最年少19歳でメンバー入りした高橋藍(らん、日体大2年)が、旋風を巻き起こす。5月1日の親善試合・中国戦で16得点の鮮烈デビューを果たした逸材。72年ミュンヘン大会以来のメダル獲得へ、24日の1次リーグ初戦でベネズエラと対戦する。2学年上で日大主将の兄・塁を追って成長し、日本の未来を担うスター候補生の歩みをひもといた。【取材・構成=松本航、平山連】

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昨春、京都市内の自宅に1通の手紙が届いた。

「拝啓18才の私へ」-

そこには「18歳の時には、兄よりもすごくなって、有名な選手になりたい」とあった。中学の取り組みで卒業前の高橋が記した思い。母小百合さんは「口にはしないけれど、そう思っていたんだ」と驚いた。

兄塁の背中を追い、小2で競技を始めた。当時の監督に「ポケットモンスター」のキラキラのカードをコートへ並べられ「あげるよ。一緒にやろう」と導かれた。公園の鉄棒をネットに見立て、兄弟で毎日練習。だが小5の春、母へ「辞めさせて」と泣きついた。兄の中学進学が理由だった。両親に「もうちょっとやってみたら?」と説得された。競技の魅力より、兄と一緒だからこそ続けられた。

翌年に東京五輪開催が決定。卒業文集に「どうしても東京オリンピックに出たい」と記した。蜂ケ岡中では兄がエース、自分はリベロ。武器のレシーブはそうして磨かれた。20年1月、東山3年時に全日本高校選手権(春高バレー)初優勝を飾り、最優秀選手賞を獲得。同じ東山から日大に進んだ兄は「『抜かれたな』と思いました」と言った。

高橋の誓いは変わった。

「出場することは通過点。目標は『メダルを取ること』に変わっています」

49年ぶりのメダルを目指し、日本の救世主となる。

◆高橋藍(たかはし・らん)2001年(平13)9月2日、京都市生まれ。蜂ケ岡中から東山高へ進学。3年だった兄の塁と臨んだ1年時、2年時と春高バレー京都府予選決勝で東京五輪代表の大塚達宣(現早大)擁する洛南に敗れる。3年時に全国制覇。18歳で日本代表初選出され、日体大進学。母方の祖父は米国人でクオーター。188センチ、72キロ。