「キング・カズ」こと55歳三浦知良(鈴鹿ポイントゲッターズ)の加入でがぜん、注目度がアップした日本フットボールリーグ(JFL)にあって、今季から参入したクリアソン新宿(東京)がおもしろい。何より既成概念にとらわれていない。
サッカーを通じて、世の中に感動を創造し続ける存在でありたい-。そんなスローガンを御旗に「2026年に世界一のクラブになる」と宣言している。
時代を先読みする若き俊英な経営陣に率いられ、ヒト、モノ、カネ、情報という資源には事欠かない大都会新宿。何かとビジネス的な文脈で語られることが多い。その環境や背景を鑑みれば、つかみどころの多いクラブだが、私がおもしろいと感じたのはシンプルに選手の経歴だった。
■学生が立ち上げた社会人クラブ
3月19日、駒沢陸上競技場で行われたJFL第2節のホーム開幕戦、対FC神楽しまね。FW原田亮が先発した。34歳にして初めてJFLという舞台でプレーしている。慶応大出身だが、学生時代は「理工学部サッカー部」というサークルでプレーしていた。
その原田は前半から積極的にゴールへ向かい、幾度も好機を迎えた。相手ボールとなると前線から懸命に追い回した。そのひた向きさは初々しいほどだった。後半40分に交代するまで、チーム最多の5本のシュートを放った。相手GKの堅守が光り、0-1と敗れた。
今季から加入した上田康太ら元Jリーガーも多いクリアソン新宿だが、大学時代にサッカー部でなく、サークルでプレーしていた選手が3人ほどいる。
もともとクラブを立ち上げた丸山和大代表が、立教大の名の知れたサッカーサークル出身。その流れで社会人チームをつくった経緯もあるのだが、全国リーグを戦うチームでサークル出身の選手がこれほどプレーしている例はあまり知らない。
とかく日本では、少年サッカーから過度な競争が繰り広げられ、中学、高校とJリーグの下部組織か、強豪校で活躍しなければサッカー選手への道は遠のく。さらに大学の体育会サッカー部所属でなければ、一般的なセレクションは受けられず、その道は閉ざされる。
このクリアソン新宿はJリーグを目指すクラブだが、そういう過去の実績や枠組みにとらわれていない。そもそもダイバーシティー(多様性)が当たり前の時代にあって、過去のカテゴリーやキャリアにこだわる方がナンセンスなのかもしれないが。
それでも仮に、このサークル出身の選手たちがJFLで大活躍すれば、Jリーガーになる可能性だってあるというわけだ。そう考えるだけでおもしろいではないか。
試合後、原田に話を聞いた。
■勉学に集中するため体育会入りは断念
--なぜ体育会でなくサークルでサッカーを?
「1つ上の先輩が理工学部で体育会に入られて、授業とサッカー部の両立に苦労されているようだった。僕自身の競技力も含めて、勉学に集中しようかなと思いました。あとは高校(慶応高)と大学同じグラウンド練習していて、高校で主将を務めていたものの大学とのレベル差を感じていて、自分が通用するとは到底思えないと」
--それが今34歳にしてJFLでやっていますが、どう思っていますか?
「不思議なものですよね。一度は両立は自らあきらめたんですけど」
その大学でのサークルの活動が、現在につながる、主体的にサッカーと取り組むきっかけになったのだという。
「仲間にはいろんなメンバーいました、サークルなので、本当に遊びにきている感覚でやっているのもいた。そういう仲間と一緒にいいチームをつくって、みんなで喜びあってという経験が、本当にすごくうれしくて。自分がサッカーやって、しかもプレーヤーとしても、仲間とつながりながらやれることで、自分自身の喜びも、仲間との喜びも、すごく大きいものがあったので、サッカーって本当にすばらしいなと思って。正直、高校の時あまり感じられていなかったんですけど、大学になって感じられて、あらためてサッカーの魅力というものに取りつかれました」
慶大卒業後は大学院に進み、修士課程を終了。大手電機メーカー、ソニーに就職した。ソニーでは海外企業と交渉し、半導体の部品を調達する仕事などに従事した。その傍らでサッカーの魅力に取りつかれ、東京都リーグでプレーを続けた。
大学4年時にクリアソン新宿に参加したこともあり、ほかのチームを経て再び加入。ソニーも退職し、クラブの運営会社でもあり、さまざまな教育事業なども手掛ける「Criacao」で働く社員選手だ。自らの競技力については「下の下」と笑うが、そのひた向きなプレーはチーム随一と言っていいだろう。
そして34歳という遅咲き。仕事もフルタイムで働くビジネスマンであり、サッカー選手という顔も持つ。ここまでやれた原動力は何なのか?
■試合後には審判団にも感謝の一礼
「一つ間違いなくあるのは、自分の可能性を最後まで信じ続けたこと。中学時代は川崎フロンターレにいたけど、その時は周りのレベルにびびって、縮こまって3年間を過ごしました。高校もユースに昇格できなかったし、意図的にしなかった。また大学でも(体育会を)選ばなかったんですけど、自分なりに自分の可能性がもうちょっとあるんじゃないかと。この年ではあるし『おまえ、もうそこまでだよ』って言われてもおかしくないですけど、でも、自分はまだまだサッカーに対して真摯(しんし)に向き合ってやっていけば可能性はあるんじゃないかって。周りのメンバーの助けもあって、少しずつでも成長しているという自覚もありますし、まだ成長できているという感じが原動力になっています」
さらにこう続けた。
「正直、自分の立場だと(会社の)事業側に専念した方がいいんじゃないかと葛藤することもありますけど、でも今日いらした方にも、僕が選手をやりながら届けられるものがあるんじゃないか、そう思っています」
初対面の記者にも笑顔をたやさず、折り目正しい人物像が伝わってきた。
そう言えば、昨年から見ているクリアソン新宿だが、クラブに関わるすべての人が常に笑顔で、他者への敬意にあふれている。
試合後のピッチ上で審判団に向き合って整列し、「気をつけ、礼」と感謝の意を伝える。教育的要素の強い高校生以下の試合ならよくある光景かもしれないが、全国リーグの大人の試合では見覚えがない。
その後もスタジアムの各方面でサポーターの前に足を運んでは頭を下げ続け、最後に相手サポーターのところにもかけより、あいさつし、笑顔で手を振った。
サッカーを通して豊かな社会の創世を願うクラブ。そこにあるのはサッカーの前に「一社会人として」という思いだろう。ダイバーシティーという時代にあって、社会問題とも真摯に向き合おうとするクラブの姿勢も見え隠れする。
既成の枠組にとらわれず、自らの可能性にふたをしない。
異色のサッカークラブに、新しい風を感じた。
【佐藤隆志】(ニッカンスポーツコム/サッカーコラム「サカバカ日誌」)