プレーバック日刊スポーツ! 過去の1月9日付紙面を振り返ります。2001年のサッカー面では、全国高校サッカーで国見(長崎)が4度目の優勝を報じました。

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<全国高校サッカー:国見3-0草津東>◇決勝◇2001年1月9日◇国立競技場

 国見(長崎)が、4237校の頂点に立った。草津東(滋賀)を3-0と完封し8年ぶり4度目の優勝。総体、国体に続いて「3冠」を達成した。エースのMF大久保嘉人(3年)は前半11分に先制点をマークし、後半33分には20メートルのダメ押し弾を突き刺した。超高校級司令塔は通算8得点で、総体に続く得点王を獲得。高校サッカー界の名将、小嶺忠敏総監督(55)も、同校校長として初めて宙に舞った。

 丸刈り集団が泣いた。大久保が、松橋が、佐藤が顔をくしゃくしゃにした。6試合で16点。屈指の攻撃力で、国見が頂点に立った。総体、国体よりグッと重みのある優勝カップを手にした。大久保が胸を張った。「得点王なんて関係ない。3冠がうれしい。国見でやってきて良かった」。

 司令塔が「3冠伝説」へ導いた。ゴールへのきゅう覚で先制点をもぎ取った。前半11分、こぼれ球に右足を伸ばして反応。「試合の流れを変えられる男」によってイレブンが勢いづく。両サイドからの攻撃に、ダブルボランチのミドルシュート。大久保と6年間下宿生活を送るMF川田が追加点を奪うと、3点目は超高校級MFが真骨頂を見せた。後半33分、相手のクリアボールを拾ってステップで1人抜くと、ゴールまで20メートルの距離から右足を振り抜く。DF2人の間をシュート回転で破り、選手権8点目を右サイドに突き刺した。

 鋭い切り返しに高速ドリブルもさえたが、実は右ひざは限界だった。溝口チームドクターは「細かいドリブルで無理するから、ひざの外側に負担がかかり筋肉が炎症していた」。テーピングした右足での2発は、大久保だから可能だった。

 大久保を含めたイレブンのプレーを支えるのが、80分間走り負けない運動量。学校の裏山には4〜12キロまで2キロずつ設定されたランニングコースがある。日が早く沈む冬場は工事用の反射材を身につける。山道を行列になって走る光景に、知らない人は「キツネ火」と見間違うほど。大久保はこの日、一番つらかったことは? の質問に「走ること」と、すぐに答えた。

 小嶺総監督の「口説き文句」も効いた。「10月の国体は20世紀最後の大会。今度は21世紀の門出をやろうじゃないか。2世紀にわたって優勝できるぞ」。イレブンのモチベーションを一気に高める一言に乗って、頂点まで駆け上がった。

 大久保は三浦淳宏(横浜)らの優勝をテレビで見て国見入学を決意。8年の月日が流れて、同じ背番号10が優勝へと導いた。12歳で福岡県苅田町の実家を離れて国見へサッカー留学した息子に、父克博さん(49)は「自分の子じゃないみたい。よく成長した」と肩をふるわせた。

 国見には、選手権優勝年に限って公式戦ユニホームをもらえる伝統がある。国見での汗と涙と泥が染み込んだ青と黄色の縦ジマの10番。大久保は「代表のものより国見のが好きです」と言った。永遠に忘れられない一着を手にした国見イレブンの「3冠伝説」は語りつがれる。

 ◇「W杯可能性10%」 決勝を観戦した日本代表のトルシエ監督は、大久保の2002年W杯出場の可能性があることを口にした。試合後「国見で印象に残ったのは7番(松橋)10番(大久保)11番(山崎)14番(佐藤)。大久保の02年W杯出場の可能性は10%くらい」とコメント。大仁技術委員長によると「『アジアユース代表選手をA代表の候補合宿に呼んでもいいか』と、トルシエが聞いてきたので『問題ない』と答えました」という。20歳以下の若年層にも目が向けられているのは確実なだけに、大久保が大抜てきを受けるかもしれない。

 ◇C大阪、期待通り 大久保が入団するC大阪では、国見の優勝を心から喜んだ。決勝をテレビ観戦した大西忠生副社長(57)は「大会を通じて期待通りの活躍だった。大舞台で自分の力を発揮できることも分かったし、われわれとしてもうれしい限り」とメッセージを送った。今月22日の入団会見を経て、2月3日以降のプロ合流となるが「今までは国見のやり方だったのが、セレッソのやり方に変わる。でも彼ならすぐにでも通用するはず。開幕から期待しています」と同副社長は語っていた。

 ◆高校3冠 90年にスタートした高校とクラブチームの日本一を決める全日本ユース、夏の総体、冬の選手権が高校3冠と呼ばれている。唯一97年度に本山(鹿島)の東福岡が達成している。国体が単独チームで争われていた69年度までは総体、国体、選手権が3冠で、66年度の藤枝東と69年度の浦和南が達成。昨年の長崎県選抜は実質的に国見の単独チームだったために、総体、選手権優勝の国見は「3冠」となる。

※記録と表記は当時のもの