セルジオ越後氏(73)本人も、今があるのはさまざまな人との出会いのおかげと思っている。同氏は人付き合いが大好き。酒席もゴルフも大いに楽しむが、自宅や1人ではアルコールは飲まないという。「人と一緒に飲むから楽しいんだ」。ビールもワインもコミュニケーションのための“道具”の1つのようだ。

ブラジルでは24歳でプロサッカー選手を終え、その後はある会社の営業職として3年間働いた。名門コリンチャンスにいた選手という肩書もあって、かわいがってもらったり、取引先とサッカーを通じて仲良くなったりし、成績は優秀だったという。

そのうち、湘南ベルマーレの前身である藤和不動産サッカー部から誘いがあった。当時の日本リーグはアマチュア。迷っていると、ある人から「仕事が覚えられて、サッカーもできて、金ももらえる。お前が行かないなら、自分の息子を行かせるよ」と言われて、決心がついた。

27歳で来日してから日本語を覚えた。その後に「日本の子供に本場のプレーを見せてあげてほしい」と声をかけられ、サッカー教室も始めた。全国を回るうちに人脈も広がり、日本への愛情も深まった。メディア関係者とも仲良くなって、Jリーグ開幕をきっかけに仕事が増えた。もちろん身につけた営業力で、自分を売り込むことも忘れなかった。

出会いや人間関係、かけられた数々の言葉などがなければ、「辛口サッカー評論家セルジオ越後」という唯一無二の存在は生まれなかったのだ。

◆セルジオ越後 ブラジル・サンパウロ生まれの日系2世で18歳で同国名門コリンチャンスとプロ契約。ブラジル代表候補にもなった。72年に来日。78年から「さわやかサッカー教室」で全国を回り、開催1000回以上、延べ60万人以上を指導。その経験から過去に「セルジオ越後の子育つ論」など子育て本も出版。93年4月から日刊スポーツ評論家。06年文部科学省生涯スポーツ功労者表彰受賞、13年外務大臣表彰受賞。H.C.栃木日光アイスバックスのシニア・ディレクター、日本アンプティサッカー協会最高顧問。