絶望から這い上がった。リーグ戦で調子を上げてきた8月下旬。練習後に体のケアを念入りにこなす姿があった。クラブハウスから出てきたのは他の選手が誰もいなくなった8時半すぎ。取材のため待っていた大勢の報道陣が播戸を囲むとポツリと言った。
「こんなに取材してもらえるのは久しぶりやな。ケガをしていた時には見向きもされなかったから」。
神戸に所属した昨年は、故障との戦いだった。前年(04年)は大黒に次ぐ日本人2位の17点を挙げ、代表入りも現実味を帯びてきた矢先。6月に右ふくらはぎを痛め、1カ月後の実戦復帰で再発。その時期、神戸は下位を低迷。責任感の強い播戸は完治を待つことなくピッチに向かい、取り返しのつかない傷を負った。離脱期間は半年に及んだ。
「相当落ち込んでいた。全くしゃべらない時期もありました。イライラが焦る気持ちもあったと思います」。リハビリを付き添った岸本トレーナーは振り返る。半年後「これでダメなら引退するしかない」と悲壮な決意をにじませてピッチに戻ってきた。その後、G大阪への移籍を経てサクセスストーリーが始まった。
「あの時期があるから今の俺がある」。G大阪時代の99年オフには当時の早野監督に放出される屈辱もあった。後に、札幌時代にG大阪戦で決勝ゴールを挙げると、相手ベンチの前でガッツポーズを見せたこともある。挫折と故障は、ただ持ち前の負けん気で乗り越えてきた。闇の時代を経て、播戸は晴れて日本代表入りを果たした。(終わり)【サッカー担当=益子浩一】



