京都サンガFCを率いる曹貴裁監督(52)が、就任1年目で故郷のクラブをJ1復帰へと導いた。

京都市出身。洛北高から早大へ進み、日立(現柏)、浦和、神戸でプレーした。引退後は川崎F、C大阪でコーチを務め、12年に湘南(当時J2)の監督に就任。当時から若手の潜在能力を見抜き、力を引き出す指導力にたけていた。湘南時代には日本代表で主軸になったMF遠藤航(現シュツットガルト)らを育て、J2制覇2度(14、17年)、18年にはルヴァン杯でタイトルをつかんだ。

将来的には五輪代表監督の候補としても期待されたが、19年にパワハラ行為が認定され、志半ばで湘南の監督を辞することとなった。日本サッカー協会からは、Jリーグの監督職に必要なS級ライセンスの1年間の停止処分を受け、自らの不祥事でどん底を味わった。

その頃、2部リーグ降格の憂き目にあった流通経済大から救いの手があった。コーチとして声がかかり、ゼロからの再出発。真摯(しんし)に学生たちと向き合い、種をまき、成長した流通経済大の“曹貴裁チルドレン”は今年、J1から大量7人(浦和2、広島2、鳥栖2、川崎F1)もが内定をもらった。

昨年12月、京都の監督に就任が決まった際、報道各社に届いたリリースには異例の謝罪が記されていた。

「まず初めに、自分が起こしてしまったハラスメント行為に関して、深くおわび申し上げます。1年間のS級ライセンス停止を受けたにもかかわらず、ありがたいオファーを京都サンガFCからいただきました。ここ京都は自分が生まれ育った町です。そのクラブから一緒に高みを目指していこうと言葉を掛けていただいたことはこの上ない喜びです」

生まれ変わった曹貴裁監督にはサッカーに対する厳しさの中に、選手に対する愛情のようなものが備わっていた。京都にとって12季ぶりのJ1復帰が間近に迫ると、選手にこう訴えた。

「プレッシャーがあるかないかと言われれば、プレッシャーのない仕事なんて面白くない」

「プロは試合に勝つことはもちろんだが、毎日のトレーニングを100%でこなすことも仕事だ」

プロとしての姿勢を強調しつつ、練習が終われば、なじみの飲食店の話題で盛り上がる。

「店に入ったら10人中、8人くらいが天津飯を食べている店があったで」

「俺が学生時代によく行ったカレーうどんが食べたくて行ったんや」

「百万遍のギョーザ屋がなくなっていてショックやった」

自らの失敗を反省する中で、オンとオフの切り替えができるようになっていった。

長らくJ2が定位置になり、勝つ喜びを忘れかけていた京都を復活させた。それは、再び監督に戻してくれた故郷のクラブへの恩返しでもあった。【04年京都担当=益子浩一】