国内外のサッカーを長年取材し、日本のサッカー記者の草分け的存在だった賀川浩(かがわ・ひろし)さんが5日午前、老衰のため神戸市の病院で死去した。99歳。神戸市出身。日本サッカー協会(JFA)名誉会長、田嶋幸三氏(67)が悼んだ。
48年前、私が主将を務めた浦和南高校が全国高校サッカー選手権大会で優勝し、賀川さんの記事の中に自分の名前を見て喜んだ思い出がある。
賀川さんは日本のサッカー記者の草分け的存在で、日本代表をはじめ、高校サッカー、大学サッカー、日本サッカーリーグ、Jリーグなど70年にわたって取材された。
また、日本がFIFAワールドカップに出場する可能性など全くなかった時代から2014年のブラジル大会まで10回にわたって現地取材された。その功績は世界も認めるところで、2015年にはFIFAの会長賞を受賞された。日本サッカーに携わる者として、また、FIFA理事として誇らしかった。
サッカーがマイナーだった時代から世界のサッカーを僕たちサッカー少年に伝えてくださったことに心から感謝している。
2022年のカタール大会で日本がドイツ、スペインに勝利したことを隔世の感を持ってご覧になったと思うが、2026年大会では新たな歴史をつくりたい。それが賀川さんへの恩返しになると思う。
謹んで御冥福をお祈りします。
賀川さんは1952年に産経新聞社に入社。サンケイスポーツ(大阪)で編集局長などを歴任し、定年退職後にフリーとなった。日本サッカー発展への功績が認められて2010年に日本サッカー殿堂入り。15年には国際サッカー連盟(FIFA)会長賞を日本人で初受賞した。W杯は14年ブラジル大会まで計10度取材した。



