ジャカルタ・アジア大会女子50メートル自由形決勝で、池江璃花子(18=ルネサンス)が24秒53で金メダルを獲得した。これで、1大会での金メダル数は、競泳界の枠を超え日本勢最多の6個となった。

ゴールすると「やった」とつぶやき、両手で軽くガッツポーズをした後、右手を突き上げた。

「優勝できると思ってなかった。今大会で1番緊張した。隣(の劉)を見ながら本当に負けるかと思って泳いだ。6冠達成できてうれしい。自分の最高の力出し切れてよかった」。

予選は25秒09で全体のトップ通過。決勝に向けては21日の50メートル背泳ぎで世界新記録の26秒98をマークした劉湘(中国)との勝負を予想して「いい勝負になる。向こうも世界記録を出している。でも背泳ぎの人に負けると悔しいので意地でも勝ちたい」と闘志を燃やしていた。

パンパシフィック選手権(9~12日)から中6日で迎えた今大会。この日までに金メダル5個、銀メダル2個を獲得していた。16日間で16種目、合計25レースを泳いで、最後もメダル獲得。前日23日には400メートルメドレーリレーで日本新で優勝。「金メダルがうれしくて疲れが吹き飛びました」と無邪気に笑っていた。その勢いで、最終レースを泳ぎ切った。

最も疲労をにじませたのは、21日に本職の100メートルバタフライ予選を終えた後だった。珍しく全体の2位通過。「これまでにないぐらい、体が動かなかった」と浮かない表情だった。

危機を救ったのは新コーチからの金言だった。5月からタッグを組んだ三木二郎コーチ。00年シドニー、04年アテネオリンピック(五輪)個人メドレー代表だ。もっとも三木コーチは今回の日本代表コーチには選ばれていないため、競技エリアに入れない。池江はプールサイドから約5メートル離れたスタンド上の三木コーチと必死で、顔を近づけて意見交換した。「落ち着いていけば大丈夫。関東高校を思い出したらいい」と、ピンポイントでアドバイスされると、うなづいた。

関東高校-。それは7月下旬の関東高校選手権(横浜)。池江にとって淑徳巣鴨高の主将として出場する最後の大会だった。米国、オーストラリアなど強豪国が集う8月のパンパシフィック選手権が2週間後に迫った時期。調整練習なしで臨んだ試合だった。そこで100メートルバタフライで56秒50を記録して優勝した。

16年のリオデジャネイロ五輪決勝でマークした当時の日本新記録56秒86よりも早いタイム。2年前に比べて地力アップを実感した。リラックスして臨めば、調整なしでも56秒台は出せる。悩みは吹っ切れた。決勝では56秒30と自身の日本記録に0秒22迫る好タイムで本命種目を制した。本命種目での会心の泳ぎで、勢いは増した。23日には400メートルメドレーリレーで金メダルに貢献。自身5冠目を獲得。この日の日本勢最多6冠に王手をかけた。

表彰式後は安堵の涙がこぼれた。「しんどすぎてどうなるかとの不安もあった。安心して涙がでました。確実に力をついてきている。レースで自信をつけて(3つの世界記録を持つ)サラ(ショーストロム)選手に近づいていきたい」。

国際大会の連戦長い夏を乗り越えて、確実にタフさを身につけた。その伸びしろは計り知れない。目標の東京五輪に向けて、18歳がメダル候補としての実力をアジアに見せつけた。