今季1500、3000メートルで日本記録を樹立した田中希実(21=豊田自動織機TC)が、21年に延期となった東京オリンピック(五輪)代表に内定した。トラック、フィールド種目では内定第1号となった。

15分05秒65を記録し、優勝。レース前時点で五輪参加標準記録(15分10秒00)を突破しており、五輪内定は優勝が条件だった。

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田中がトラック、フィールド第1号の東京五輪内定を勝ち取った。残り半周で1学年下の広中を逆転し、5000メートルは初優勝。15分5秒65の記録に「意識がもうろうとした」と力を振り絞り、得た勲章だった。

「自分に対するプライド、責任感。それに(周囲へ)感謝の気持ちがあったから耐え抜けたと思います」

走ることは習慣だった。その原点は読書好きな少女時代にあった。小学生だったある日、学校から「歩きながら読むのは禁止」と注意があった。「がんばれヘンリーくん」や「赤毛のアン」…。田中も大好きな本を読みながら通学する1人だった。兵庫・小野市の自宅から小学校までは約2・5キロ。暑い日も、寒い日も、走って通学。日課になっていた。

「ランドセルを背負って、日によっては習字セットもあったり…。一刻も早く家に帰って『本を読みたい』と思って、走りました」

母千洋さんは北海道マラソンで2度の優勝。世界各地を転戦する姿に「海外っていいな」と憧れた。だが、小学校高学年の時の夢は「作家になりたい」。原稿用紙30枚の童話を書いて、コンクールに応募したこともあった。現在コーチを務める父健智さんには「陸上でトップになれば、自分で何か物を書くことができるかもしれない」と言われた。田中にとって陸上が、その最適な「手段」だった。

小野南中時代はインターハイ(高校総体)、西脇工高ではインカレ(学生選手権)の存在さえ知らなかった。「あの子に勝ちたい」。負けず嫌いの少女は同じレースを走るライバルを見つけ、その存在を越えることを繰り返した。成長した走りを発揮する舞台に、この日「五輪」が加わった。

「こんなに苦しい思いをして勝ち取った権利なので無駄にせずに、これからも自分自身と向き合いながら力をつけていきたいです」

来夏、さらに成長した姿で国立に立つ。【松本航】

◆田中希実(たなか・のぞみ)1999年(平11)9月4日、兵庫・小野市生まれ。小野南中3年時に全国中学校大会1500メートルで優勝。西脇工高を経て、同大1年だった18年のU20(20歳未満)世界選手権で3000メートル優勝。19年世界選手権5000メートル14位。20年は7月のホクレン・ディスタンスチャレンジ深川大会の3000メートルで8分41秒35を記録。福士加代子の日本記録を18年ぶりに更新。8月のセイコー・ゴールデングランプリでは1500メートルで4分5秒27。小林祐梨子の日本記録を14年ぶりに更新。目標は「800(メートル)から5000(メートル)まで走れるマルチランナー」。153センチ、41キロ。