<第91回箱根駅伝>◇3日◇復路◇箱根-東京(5区間109・6キロ)

 圧倒的な強さで青学大が初優勝を遂げた。2位明大に4分59秒差で復路をスタート。後続との差を徐々に広げ、10時間49分27秒の驚異的なタイムをマーク。コース変更に伴い参考記録となった従来の最高タイム、10時間51分36秒(東洋大=12年)を2分以上も更新した。2位駒大との10分50秒差も、平成以降の大差優勝記録。06年の亜大以来となる、大会史上16校目の優勝校誕生で「青学時代」の幕を開けた。

 ユーヤッ、ユーヤッ、ユーヤッ…。大合唱が大手町の高層ビル群に反響する。笑みをはじけさせてアンカー安藤悠哉(2年)が、歓喜のフィニッシュラインに飛び込んだ。安藤、原監督が胴上げされる。箱根駅伝新時代の到来だ。

 4分59秒という往路の大型貯金がある。無理して突っ込むのは、アクシデント誘発のリスクをはらむ。だがイメージに反して?

 硬派な青学ボーイの心は愚直で、硬かった。復路を走った選手が次々と口にする。「往路のおかげと言われるのは悔しい」(小椋)「往路の貯金で逃げ切ったと言われるのは嫌だから絶対に復路優勝するつもりだった」(藤川主将)。前日、神奈川県内の寮から各区間に出発する復路の選手たちの誓いだった。結果は、往路の2人を上回る3人の区間賞輩出。完璧なレース運びで後続は「準優勝争い集団」と化した。

 故障でメンバーから外れた準エース格の川崎友輝(4年)も、至福の時間を共有した。9区の給水係。同じ最上級生の藤川にペットボトルを渡すために並走した。メンバーから外れ「お前の給水係をするよ」と買って出てくれた親友。「14・4キロの一番きつい所。普段通りワックスでガチガチに頭を固めた顔を見て元気が出ました。彼の分も頑張ろうと」と藤川。その川崎のサングラスを借りて区間賞の快走を見せた。

 藤川につないだ高橋も4年生で区間賞。最上級生の意地で横の結束は固い。一方で「縦のきずな」も青学大の強さだ。故障で悩むエース久保田が退部するか迷っていた昨年のこの時期、1学年上の藤川が、あえて迫った。「やめるかやめないか迷っているヤツがいるのは迷惑だ。やめるなら1月4日に出て行け。続けるなら切り替えてくれ」。その2人が今では同部屋で暮らす。この日は他の後輩からも「楽しんで走ってください」というメールが出走前の藤川の携帯に届いた。

 強くて仲良くフレンドリー。チームカラーをそう評した藤川は「でも上下関係は、きちんとしてます。下級生も素直に聞くし、言う方の上級生もいいかげんではいけない」と言う。そんな素直な選手が、専任コーチやトレーナーの増員、体幹トレの導入、水風呂の設置などで「装備」を整え、心身ともに屈強な箱根仕様で快走した。今回走った8人が来年も残る。年度3冠の偉業。現3年生が入学時に「4年生で達成しよう」と誓った目標を、夢物語では終わらせない。【渡辺佳彦】

 ◆11時間切り

 青学大で5校目(東洋大2回)。山梨学院大が記録した94年の10区間総距離は214・7キロで、コース変更した05年から14年までは217・9キロとされた。今回は、5区と6区のコース上にあった函嶺洞門の脇に完成したバイパスを通るルートに変更。約20メートルの距離延長で、5区と6区の従来の記録は参考扱いとなり、これに伴い往路、復路、総合の3部門の記録も一新された。昨年9月に関東学連が距離を再計測した結果、ルートは一部変更にすぎないが、数字上は総距離217・1キロと従来より短縮している。

 ◆大差優勝

 1920年(大9)の第1回大会までさかのぼると、総合優勝校と2位との最大タイム差は38年に日大が専大につけた37分59秒差。なお、最小差は2011年の早大が記録した21秒差(2位は東洋大)。