16年全日本選手権2位の田中刑事(22=倉敷芸術科学大)は「『この名前で良かったな』って思う方が多いですね。覚えられやすいですし」とクールな表情を緩める。「正義感強く育って欲しい」という思いで父に名付けられた刑事(けいじ)という名を「本当に人一倍悪さできない。1つ1つの悪いことに対して、人一倍抵抗感があります」と笑うのは、本音のはずだ。

 スケートは小1から、10年バンクーバー五輪銅メダリスト高橋大輔氏と同じ岡山・倉敷市のリンクで始めた。地元では名の知れた存在だったが小4の夏、長野・野辺山での全国有望新人発掘合宿で衝撃を受ける。「やっぱりゆづは何か違いました。羽生くんも、日野くんもそれまで、名前さえ知らなかった」。東は京都までしか行ったことのなかった少年が、宮城の羽生結弦(ANA)、東京の日野龍樹(中京大)という同学年のライバルに出会った。

 4人部屋でカードゲームのUNOをし「唐揚げと野菜と牛乳がおいしかった」と笑って振り返る合宿。だが、羽生のランニングの姿勢や、陸上でのリズム力を高める練習の適応力は忘れられない。そこからは野辺山合宿と全日本ノービス選手権の年2回、羽生や日野の力を確かめた。

 「中1の時はなぜか『ゆづが(3回転)ルッツとフリップを跳んだらしい』という情報が入ってきて、必死に跳んだり…。2人の情報を聞くと、焦って練習しました。あの2人がいなかったら向上心も無かった」

 14年ソチ五輪で金メダルを獲得する羽生の姿は、6年間とどまったジュニアの1人として見た。14-15年シーズンからシニアに上がったが「上にも下にもすごい選手がいる。今ももちろん不安です」と漏らす。それでも「ずっと変わっていない」と言い切る危機感が田中を強くした。「常に僕は危ないラインをいかないといけない。成長し続けていく選手を見たいし、僕もそうなりたい」。昨季は初出場の世界選手権で19位。体感した世界の厳しさも、18年平昌五輪を目指すエネルギーになる。【松本航】

 ◆田中刑事(たなか・けいじ)1994年(平6)11月22日、岡山・倉敷市生まれ。小1の冬に母と近くのリンクへ足を運び、競技を始める。小3から現在の林コーチに師事し、週末は関西で練習。大学1年の13年から兵庫県に拠点を移す。1人暮らしをしながら自転車でリンクへ向かう生活で、シニア1年目の14年全日本選手権8位。16年はGPのNHK杯3位、全日本選手権2位。172センチ。

田中のデータ
田中のデータ