「ケガなく終わって本当に安心しました」。

大船渡(岩手)の国保陽平監督(32)は、最速163キロ右腕・佐々木朗希投手(3年)が登板を終えるとそう話すことが多い。


一丸で試合にぶつかる市ケ尾投手陣
一丸で試合にぶつかる市ケ尾投手陣

「投手はいつ、マウンドでいきなり肩やヒジを痛めてしまうか、それは誰にも分かりませんから」。

野球をする子どもをケガから守る。指導者たちの思いは「肩・ひじ問題」「球数制限問題」として広まりながらも、広すぎる裾野ゆえ、まだ具体的な制度化には至っていない。

それでは間に合わない-。横浜に、独自で取り組みを進める青年監督がいる。

  ◇  ◇

夏も近づく、土曜日の練習試合。市ケ尾(神奈川)は8回から右サイドの羽生荘介投手(3年)が登板した。8回を17球で終え、9回に許される球数は「18」まで。最終回も何とか17球でまとめ、羽生は日曜日も登板可能になった。

「1試合35球までなら、翌日も連投可能です」。17年から同校を率いる菅沢悠監督(32)は、そう決めている。「数字を完全に記憶していないので」と頭をかきながら、スマートフォンのメモ機能を開いた。


連投可能…35球まで

中1日…36~50球

中2日…51~65球

中3日…66~80球

中4日…81~99球

中5日…100球以上


「公式戦だと、これにプラス15球ですね」と補足した。市ケ尾流の「ピッチ・スマート」だ。日本で聞き慣れない響きは、MLBが14年に発表したガイドライン。医師らの見解に基づき1日の球数上限、必要な休養日を年齢ごとに定めており、MLBの公式サイトでも公開されている。

例えば日本の高校3年生にあたる17~18歳は、1日の最大投球数を「105」と推奨されている。連投可能なのは30球まで。市ケ尾流より5球少ない。「メジャーの指標だとさすがに投手を回せないので、少しだけ増やしています」と菅沢監督は説明する。


独自に球数制限を実施する市ケ尾・菅沢監督
独自に球数制限を実施する市ケ尾・菅沢監督

教師人生最初の着任校に、いい球を投げる1年生左腕がいた。「でもその子、中学1年の時にヒジを手術していたんです。試合で投げると、翌日は野手出場も苦しいほどヒジが張ってしまう。その子をベースに考えたら、自然と球数や休養日のことを気にするようになりました。私自身、昔から投げるとすごく痛くなるほうだったので」。

野球関連のセミナーに通う中で、ピッチ・スマートの存在を知り「日本で、高校野球で、いや自分のチームだけでもこういうものができないかなって」。市ケ尾に赴任した年の冬に、具体的な球数制限を始めた。試合での投球だけでなく、例えば平日の練習でブルペンで投げれば、その分もカウントされる。

大胆な方針転換に選手たちは戸惑った。「練習で投げられないことに対する嫌悪感を投手たちは持っていましたね」。特に今春卒業した選手たちには、高校生活半ばでの調整法転換に申し訳なさも感じているという。ネガティブな反応も肌で感じながら、芯はぶらさずにやってきた。

効果を聞くと「2人目以降の投手が本当に、圧倒的によく育つなという印象があります」と即答だった。ベンチに入れるかどうか、当初は7番手くらいで考えていた投手がいた。「普通なら練習試合でも投げられるかどうか、というレベルでした。でもピッチ・スマート導入で登板機会が増え、変化球でストライクをとれるようになって」。彼は昨夏、6回参考ながら完全試合を達成した。

話を聞いていて、遠く三陸の学校が思い浮かんだ。大船渡・国保監督は球数制限こそ導入していないものの「全員がどのポジション、打順でもプレーできるように」と、練習試合では野手も含めた多くの選手を投手起用する。エース佐々木への負荷を極力軽減。投手陣の経験値は確実に増えてきている。くしくも、ともに筑波大で体育教師免許を取得している。


ロッカーに貼られた市ケ尾流ピッチ・スマート
ロッカーに貼られた市ケ尾流ピッチ・スマート

指導方針に共鳴する中学生も増え、今春は1年生が18人入部した。今後、佐々木朗希のような逸材が市ケ尾の門をたたくかもしれない。「大エースが入ってきたらどうしますか?」と尋ねた。数秒だけ考えて「リリーフに回すと思います」と答えた。「大エースには全試合、リリーフで3回くらい投げてもらう。6回までを小刻みに3投手でつなげるよう、育てていく。そういう戦い方になるのかなと思います」。やはり、完投の2文字は頭にない。

球数制限ではなく、休養日設定と捉えている。「球数も自分たちのあんばいで決めているし、例えば数球オーバーしたからダメ、とかの厳格さはないです。中何日かを一番大事にしたい」と強調する。冒頭の羽生投手はルーズショルダーの傾向がある。「サイドなので遠心力がかかりますが、しっかり休めるので」と恩恵を受けている。エース左腕の大脇文仁投手(3年)は「投げない日が多いので、投げた日の内容をしっかり反省できるのがいいと思います」と効能を明かす。なお、試合中は球数を気にすることはほとんどないという。


試合中のブルペンでの球数はカウントされない
試合中のブルペンでの球数はカウントされない

冒頭の練習試合、5月ながら横浜の気温は30度に達した。年々厳しくなる7月の県大会。それでも投げ続ける高校球児たち。「(指導者は)怖くないのかな、壊すかもしれない怖さはないのかな」が菅沢監督の率直な感想だという。「リスクが高いことをしてまで勝ちにいくのが正しいのかな」とつぶやいた。

再び、大船渡・国保監督の顔がよぎった。春季岩手県大会初戦敗退後、相手捕手の肩が強くなかった中でも盗塁が少なかったことを問われ「相手の弱いところを突き続けて勝っても、それは次につながるのか。チームにとって正しいのか」と口にした。

2人とも「勝負事への意識が薄いと言われるかもしれないですが…」とこぼしたことがある。信じてくれる生徒とともに、自分の流儀で。脱・勝利至上主義に近い信念は、従来の高校野球の価値観に風穴をあけつつある。球数制限を設けようとした新潟県高野連の動きもあった。「自分は変わり者でいいと思ってるんですけど、背中を押されたような感じでしたね」。

地図上に、市ケ尾高校を中心とした半径15キロの円を描く。その中に東海大相模、桐光学園、桐蔭学園の神奈川勢に日大三、桜美林、早実の西東京勢…甲子園を本気で狙う強豪が収まる。「うちは甲子園という言葉は練習中、試合中、大会前も一切出ないです。甲子園につながる大会に出ているだけです」と菅沢監督が明言する取り組みは、このエリアではなおさら異色に映る。高校球児の肩・ひじにどのような影響が出るか。導入2年目。答えが出るのはまだ先だが、明るい未来を信じ、貫く。


菅沢監督と女子マネジャー。球数は常に確認
菅沢監督と女子マネジャー。球数は常に確認

今年も夏が来る。6月8日に夏の神奈川大会の組み合わせ抽選会が行われ、7月7日に開幕する。ナインはベスト8を目標に掲げる。菅沢監督はちょっと違う。

「一発勝負で横浜高校や東海大相模に勝ちたいですね。勝てなくてもいいんですけど、勝てるような野球をできるように頑張ってます。矛盾しているかもしれませんね。甲子園を目指していないのに、横浜や相模には勝ちたいって。でも横浜や相模に勝って、次の試合であっさり負けても、それはそれでいいかなって思っちゃうんです」。

日本一の高校野球激戦区・神奈川。時代が移ろい、高校野球を取り巻く背景も変わってきた。それでも、夏の横浜スタジアムに集いし野球人たちの野望は、案外シンプルなところに集約されるのかもしれない。あそこに勝ちたい-、と。【金子真仁】

初戦は7・13

○…市ヶ尾は8日の組み合わせ抽選会の結果、7月13日に横浜緑園・横浜明朋の合同チームとの1回戦が決まった。勝てば中2日で2回戦の大和東戦。さらに中1日で3回戦、中2日での4回戦に勝つと、4回戦との連戦で5回戦に横浜とぶつかる可能性がある。