「しっかりと3番以内に入って世界選手権の代表権をとらないといけない」

 取材エリアで聞いた言葉が耳に残った。

 陸上日本選手権第1日の23日、男子100メートル準決勝。日本歴代2位の10秒01を持つ桐生祥秀(21=東洋大)は2着通過を決めた後、決勝に向けてそう言った。史上最高レベルの日本一決定レースを前にして「3番以内」という言葉に高揚感は感じられない。

 桐生は、誰かと競い合って走ることが好きだ。「陸上は100メートルを走って最後に順位で決まる」。9秒台はもちろん大切だが、競走の原点である1着に何よりもこだわる選手。ストレートに「明日は優勝したい」と言う、と思っていた。

 最初の違和感は予選だった。桐生の2組前でサニブラウンが10秒06、次の組でケンブリッジが10秒08と、目の前で好タイムが飛び出した。負けず嫌いの21歳が触発されて、フルパワーでかっ飛ばして9秒台もあるかも、と予想していた。桐生が2度記録した10秒01は、13年4月が予選、16年6月が準決勝だったこともある。

 ざわつく会場に登場した桐生は10秒15でレースをまとめた。「おれも、と思わなかった?」という質問に「僕も、という気持ちは全然なかった。ここは勝負するところで記録会とは違うので」と冷静に答えている。余力を持って予選→準決勝→決勝とステージを上がることは大切だが、何だか少しらしくなかった。

 しかも準決勝はケンブリッジに先着を許した。2着通過の事実は、さすがに「1着でゴールできなくて残念です」と口にしている。スタートから3、4歩目でつまずいたが、立て直しての10秒14。タイムはまずまずかもしれないが「つまずいた」という事実が気にかかった。準決勝は1着を狙ったのに2着にしかなれなかった、とも言える。

 「3番以内」「僕も、という気持ちは全然なかった」「つまずいた」。24時間後の大一番を前にして、不穏な空気が漂っていた。

 決勝は、個人種目代表圏外の4位だった。予選、準決勝よりもタイムを落として10秒26。レース後に「自信はあったか?」という質問に「自信はありました。弱気にならないように、と考えていた」と口にした。その言葉は揺らぐ心を何とか保とうとしていた苦労がにじむ。6月上旬に欧州遠征をこなした連戦の疲れについては「それは言いたくないし、言わない」とした。ただ迷いなく「優勝したい」と言えるような、心身の状態ではなかった。

 いきなり予想もつかないような爆発をする。それが桐生の魅力だ。例えば15年4月、テキサスリレーで見せた3・3メートルの追い風参考9秒87。リオ五輪400メートルリレー決勝の3走でみせた圧倒的なコーナーリング。最初からなりふり構わずかっ飛ばして50メートル付近で相手を置き去りにする―。

 桐生は世界選手権のリレーメンバー候補に入った。心身ともにリフレッシュした後でいい。細かいことは置いておいて、本能のままぶっ飛ばす「ジェット桐生」が見たい。【益田一弘】

 ◆益田一弘(ますだ・かずひろ)広島市出身、00年入社の41歳。大学時代はボクシング部。陸上担当として初めて見た男子100メートルが13年4月、織田記念国際の10秒01。昨年リオ五輪は男子400メートルリレー銀メダルなどを取材。