何かがあったことは、明らかだった。競泳東京都選手権第1日の7日、男子200メートル背泳ぎ決勝。日本代表の金子雅紀(26=イトマン東進)は、ラスト50メートルで急激に失速した。

 調整レースとはいえ、出場10人で最下位。タイムも9位に4秒以上も離された2分10秒49。自己ベストよりも14秒以上も遅い。もともと16年リオデジャネイロ五輪代表になった実力者。パンパシフィック選手権(8月9日開幕、東京)を控えて「不本意」「不調」などという言葉では表現できないレース内容だった。

 取材エリアで「代表として」という質問を耳にして、26歳は言葉に詰まって、グッと涙をこらえた。

 「明確な原因があるので、自分の体と向き合って前向きにやりたい」

 理由は、左手首と心臓に行った2度の手術だった。

 今年2月、陸上トレーニングで大きな箱の上に跳びのるジャンプの練習中に足を踏み外して、左手を地面についた。

 「最初は骨折とは思わなかった」

 痛みに耐えて、代表選考会を兼ねた4月の日本選手権に出場。しかし同100メートル背泳ぎで3位に終わり、同選手権後に代表に選ばれなかった。試合の2日後に手術を敢行。左手首にボルト1本を埋め込んだ。約1カ月間のオフをとって、患部の回復に努めていた。

 5月に行われたジャパンオープンは、日本代表の追加選考を兼ねていた。だが金子は、17年1月から悩まされていた不整脈の治療のために、5月下旬にカテーテル手術を決断した。

 「試合形式の練習になると、動悸がして、深呼吸ができない。全身に酸素が足りなくなって、練習を切り上げたり、休んだりしていた。その頻度が高くなったので、左手首の手術で1カ月のオフをとる間に手術をしようと思った」

 ジャパンオープンは回避して、心臓の手術を選んだ。

 ここで思わぬ事態が発生する。背泳ぎ代表だった古賀淳也が、ドーピング陽性のために暫定的な資格停止処分になった。日本水連は、ジャパンオープン直前に古賀の日本代表派遣を取り消した。日本選手権3位だった金子が繰り上がりで日本代表に入る形となった。

 「正直、心臓の手術もあるし、不安もありました。でもやっぱり日本代表で出たい気持ちがあった。せっかくのチャンスなので生かしたいと思った」

 3時間半に及ぶ心臓のカテーテル手術を受けて、復帰への道を歩み出した。

 最下位に沈んで、涙をこらえてから一夜明けた8日。金子は同100メートル背泳ぎ予選を全体トップで通過した。決勝は50メートルの折り返しで先頭。しかし後半に逆転されて2位だった。

 55秒25は自己ベストに1秒69及ばないが「タイムは予定通り。優勝したかったけど、今は自分の泳ぎとタイムを一致させることが1番。今できる力は出し切った。泳ぎの感覚が戻ってくれば、状態はよくなる」。

 夏のパンパシフィック選手権まであと約1カ月。まだ左手首に違和感と痛みは残っているが「代表に選んでもらったので、結果で恩返ししたい」と静かにそう言った。【益田一弘】

 ◆益田一弘(ますだ・かずひろ)広島市出身、00年入社の42歳。五輪は14年ソチでフィギュアスケート、16年リオデジャネイロで陸上、18年平昌でカーリングなどを取材。16年11月から水泳担当。