マネジメントを委託する吉本興業の東京本社(新宿区)に、元フィギュアスケーター日野龍樹(26)は上下紺のスーツ姿で現れた。勤務先からの帰り道。20年間の現役生活に、今年3月に区切りを付けて「就職しました」と穏やかな笑顔を見せた。

★外から見守りたい

「吉本さんじゃないですよ、就職先は(笑い)。そんなうわさもあったみたいですけど。引退した後も、こういう時に引き続き面倒を見ていただけることになって。ご厚意に甘えて、お世話になり続けています」。そう笑って続けた。

「職種は、システムエンジニア(SE)です」

スケート人生の半分以上を過ごした名古屋から、実家のある東京に戻ってSEに転じていた。

「勤務先は東京で探しました。いや、もうさすがに家族と一緒にいたいですから(笑い)。11年も親元を離れて愛知にいたので、これからは東京で。転勤がないことも条件に探させてもらいました」

昨年末の全日本選手権で引退を表明し、年明けから就職活動を始めた。「全日本までは、現役を続けるか引退するか、決め切れていなかったので。その時点で就活を始めちゃうのは勇み足かなと。開始は競技をやめてから」と決めていた。

もう1つ決めていたことが「スケート以外の仕事」だった。今年1月、キャリア最後の全国大会となった冬季国体(愛知)でも「自分がどんな人間か知りたいという理由でフィギュアから離れる」「社会に出たら間違いなく打ちのめされると思うけど、新たな世界で」などと話していた。

手をたたき「すごく格好つけた言い方しちゃってますね」と大笑いした。「でも本当です。スケートだけで僕の人生を埋めたくはなかったので、ほかの道にどうしても進みたかったんです。自分にある可能性…と言うと大げさですけど、自分は、どんな人間なんだろうって知りたい。仲間はスポーツ関連とか、インストラクターとか。連盟に入ったり、指導者になったり、も多いですけど、自分は上手に教えられる自信もないですし、外側から見守りたいなと」

中学時代の親友が勤めているというマイナビを通じて「いくつか、企業さんを紹介いただきました。ご時世的にzoom、電話、LINE等でやりとりしながら、採用試験が進んでいきました」。SPI(適性検査)では最も向いている職業として「営業」という結果が出た。不動産、スポーツジム、BtoBの業種など、さまざま勧められたが「え、待ってくださいと(笑い)。もともとオープンな人間ではないですし、もっと体育会系でビシッとしてる人がやるべき仕事かなと」。営業職の面接は1社も受けなかった。

「もちろん、フィギュアスケートはスポーツですけど、人に評価される競技で。いちいち気にしていたら大変ですから流したり、悩んだり、克服したり、反骨精神みたいなものは身につくんですけどね。でも確かに、野球やサッカーより珍しいので、同じ会社の方々もよく話しかけてくださいますし、あれ、営業に向いてましたかね(笑い)。フィギュアって言えば、みんな(浅田)真央ちゃん真央ちゃん、羽生結弦って言ってくださいますし」

だが、最終的に絞り込んだ職種は、最も縁遠そうなSEだった。「昔ならSEって難しそうだなって避けていたところを、あえてやってみようと。まだ入社して4カ月ですけど、自分に一番、合っている気がしますね」。高度な理系スキルを求められそうなイメージだが「合っている」という。確かに、兄の公純さんは東大から東大大学院という高学歴を誇る。現在は古今亭菊一の高座名で活躍する落語家だ。素養は申し分ないのだろう。

「いや、中京大中京高から中京大と勉強もしっかりやった自負はありますけど、一番はフィギュアスケート上達のために選んだ学校なので。昔から、あまり算数とか数学とか難しいと思ったことはなかったですけど、筑駒(筑波大付属駒場)とか開成に行ってたわけではないですし。兄とは、とてもとても比べものになりません(笑い)。でも、学校でスケートだけしていればいい、という考えではなかったことは確かです」

就職先は、企業や団体の事業を支えるコンピューターシステムのインフラ(基盤)設計、構築、保守を請け負う一般企業だ。テレワーク需要の高まりも受け、多忙を極める。入社は7月1日。「採用試験を受けている最中に『プロジェクトの関係で入社は7月になります』と言われたことも良かったです」と縁を感じた。引退試合が3月下旬の愛知選手権だったからだ。「引退して翌4月1日からいきなり働くのは大変だったので(笑い)。3カ月間、ぜいたくですけど、SEの勉強をさせてもらったり、ゆっくり休んだり、何もしない期間をいただきました」

SEのお仕事は、実際どうなのか。

「まだ試用期間で、例えばソフトをインストールする時の、何て言うんでしたっけ? 仕様書じゃなくて…あ、手順書だ(笑い)。ITに詳しくない方でも分かるように書類を作成したり、プログラミングもしてみたり、設計書、定義書、仕様書、いろいろと教えてもらってます。本当にやさしい会社。専門的な学校に通って資格を取ってからでないと普通は入れないと思うんですけど『未経験でも全然いいよ』と、おっしゃってくださったので。ぼちぼち、仕事のギアを上げないといけない感じはしますが」

「最初は何が分からないか、が分からないんです。社長は『何でも聞いてね』と言ってくださるんですけど『何を聞けばいいか分かりませーん』とは、さすがに言えないですよね(笑い)。とにかく自分でやってみて、それから聞く。コマンドを打つ時に、どう打ったらいいですか? このコマンドの意味は何ですか? って、調べても分からない時だけ聞きに行くようにしています。最近ようやく分からないことが分かってきた感じです」

大学卒業後の3年間は、拠点の邦和スポーツランドでアルバイトをしながら氷に乗っていた。

「手順書を作る前は、スケート場で一般営業の受付をしてました(笑い)。あとはセミナープラザという宿泊施設で宿直をしたり、隣接するゴルフ練習場で働いたり」

現在は、電車で決まった時間に通勤する日々だ。「高校までは規則正しい生活と練習をして、大学で少し融通が利くようになって、卒業してからは…自由すぎたので(笑い)。毎朝の早起きはまだ慣れないというか、きついですね。眠いです」と頭をかく。余暇には、新社会人として今まで経験のない疲れを感じながらも、フィギュアの試合を映像で確かめてしまう。

「(山本)草太がグランプリ東海FSCに(半年以上の無所属期間をへて)移籍できた話も、連絡をして話を聞きましたし。しんどい時こそ、声をかけたいなと。あとは佐々木晴也、中村俊介、壺井達也、きみちか(和田龍京)と連絡を取ったり。(本田)ルーカス(剛史)君と櫛田一樹君も。ルーカス君は、もともと西日本選手権で知ってましたけど、ジャパン・オープンで一緒になったころから、ちゃんと話すようになって。彼、大人びてるので話しやすいんです。顔も大人びてます(笑い)。櫛田は(田中)刑事の後輩なので、いつの間にか話すようになっていましたね。明治神宮外苑FSC時代は先輩に相談に乗ってもらったり、名古屋時代は(現在は三浦璃来とペアの)木原龍一に、よく焼き肉をおごってもらっていました。なので、自分も同じように後輩に返さないと。食事に誘ったり、余計なお世話にならない程度に、演技について話したりしています」

★気になっちゃう同期

秋には同期の田中刑事とも連絡を取った。シーズンが本格開幕する10月のジャパン・オープンのころだった。「やっぱり気になっちゃいますよね、同期のことは。あ、ちょうどいい。ここで同期の話をしましょうか。聞きたいのは、ユヅと刑事のことですよね?」。そうおどけて、ICレコーダーに口元を近づけた。(つづく)【木下淳】

◆日野龍樹(ひの・りゅうじゅ)1995年(平7)2月12日、東京都調布市生まれ。名前の由来はインド仏教の僧「龍樹」から。「フョードル」のミドルネームを持ち「フェイ」の愛称で呼ばれる。01年にスケートを始め、高田馬場シチズンプラザ-明治神宮外苑FSC-武蔵野学院中-中京大中京高-中京大(スポーツ科学部)。合計の自己ベストは18年フィンランディア杯の205・15点。09年から12年連続で出場した全日本の最終戦はSP、フリー、総合すべて11位で引退。女子の同期は村上佳菜子や細田采花ら。173センチ、65キロ。血液型AB。

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