振り返れば、歯を食いしばることが多い半年間だった。

23歳になった本田太一は新社会人となる2021年春、5歳から取り組んできたフィギュアスケートに別れを告げた。競技と並行し、簿記2級を取得。法務、労務、税務などの知識も、頭に詰め込んだ。それでも実務が始まると、壁は高かった。

「フィギュアスケーターとしての『本田太一』は、役に立ちません。それでも、スケートよりもやりがいのある人生を目指して、挑戦しようと決めました」

就職活動で複数出た内定から、この企業を選んだ。

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★言い訳のできない世界

それが東京に本社がある「株式会社日本M&Aセンター」だった。

慣れ親しんだ関西を離れ、日本の中心地で1人暮らしを始めた。

1991年に創業し、先日30周年を迎えた会社は東証1部上場、業界最大手だった。「M&A」は「Mergers(合併)&Acquisitions(買収)」を略したもので企業の合併や買収などを意味し、同社は、そういった案件を取り扱う。

経済学部の本田も当初は漠然としたイメージしかなかった。新卒学生を募集していることも、調べてみて分かった。

「M&Aは日本以上に海外で盛んです。譲渡側、譲受側の企業に寄り添って、互いの存続と発展に貢献するのが私たちの使命。就活で話を聞いていて、社会貢献性に加えて、上場している中でも毎年成長を続けているところも魅力でした」

関大4年時は選手として練習する傍ら、面接や同社のOB訪問など、情報を集めた。入社を決断したのは、シーズンの本格化が近づく夏の終わりだった。

そこは、言い訳のできない世界だった。

対象は主に中小企業。少子高齢化が進む昨今、魅力的な事業を展開しながらも、後継者不足や人材不足などにより、未来に悩みを抱える企業が数多くある。必然的に本田が面談する相手は、全国各地の経営者となる。専門は調剤薬局の業界で、30~80代と幅広い年代の社長と向き合った。「フィギュアスケーター」の看板を外し、社を背負う1人として力が試された。

「ビジネスマンとしてのモラルはもちろんですが、一番痛感したのは知識不足です。譲渡、譲受されるオーナーにとって、長年苦楽を共にしてきた、子どものように思い入れのある会社。M&Aの決断をされるのは、ものすごく大きなことです。株のこと、退職金の仕組み、従業員の処遇…。『持ち帰って確認してきます』という言葉ばかりでは、信頼関係は築けません」

休日も仕事の案件は頭から離れない。「あのオーナーは、こう考えておられるのかな?」-。現役時代は取材を受け、自らの考えを伝えることが多かった。今は正反対の立場になった。

「この仕事に就く前から『社長は孤独』と耳にしてきました。実際、部下に弱音を吐けない中で、会社の将来を心配されている方がいます。会社ごとに色、思い、歴史がある。それも頭に入れた上で寄り添い、サポートしないといけない」

★自信をもらった言葉

最近、仕事にやりがいを感じた瞬間があった。

「他の会社からも話を聞いてみたけれど、本田さんの熱意に託そうと思います」-

ある女性オーナーからもらった言葉で、自信が芽生えた。

考えてみると、ビジネスマンとしての生活とスケートは重なる部分が多かった。受験勉強、就職活動…。練習時間が確保できない状況でも、氷の上では常に100%の情熱を注いだ。体を痛めても、演技になれば、アドレナリンを頼りにトリプルアクセル(3回転半ジャンプ)に挑んだ。転倒時に衝撃の大きい4回転からも逃げなかった。自らを突き動かしていたのは、他ならぬ「熱意」だった。

「現役時代も24時間365日、スケートのことを考えていました。1つの物事を継続すること、コミュニケーション力は絶対に強みになると思います。担当する業界では薬局の数が今後、減っていくと予想されています。多くの人に親しまれていて黒字なのに、廃業してしまうことも考えられます。そうすると、そこで働く人たちだけでなく、病院、患者さんも困る。私は『M&A』という選択肢を提示することで、少しでも悩んでいる方をサポートしたいです」

12月23日からは2022年北京五輪の代表選考会を兼ねた全日本選手権が、さいたまスーパーアリーナで行われる。妹の真凜や仲の良いスケーターを応援しながら、自身も3月の決算に向けて多忙を極める日々が続く。

「もうスケートに関しては、完全に『ファン』です。それも仕事にやりがいを感じられているのが、大きいと思います。この時期に頑張るのは…得意です!」

スーツ姿で迎えるクリスマス。きっと、そんな時間も将来の財産になる。(敬称略、おわり)【松本航】

◆本田太一(ほんだ・たいち)1998年(平10)8月2日、京都府生まれ。5歳でスケートを始める。当初はアイスホッケーとフィギュアを両立。関大中-関大高-関大経済学部。大学時代は世界選手権3連覇中のネーサン・チェン(米国)を担当するラファエル・アルトゥニアン・コーチの指導を受けるため、妹の真凜と米国での生活も経験した。

【ちやほやされない世界で仕事に燃える!本田太一前編】はこちら>>