横綱になるための必須事項の1つが「安定感」だ。名古屋までの豪栄道は、けがに泣いて十分稽古を積めず、相撲が安定しなかった。大関昇進後の12場所で関脇以下には74勝44敗と数多く取りこぼし、大関横綱戦では17勝41敗と大きく負け越した(不戦除く)。
目立ったのは、突き押しの相手に安易に引いて墓穴を掘る相撲。それが、全勝優勝した秋場所では一変した。「よく我慢、辛抱していた」と師匠の境川親方(元小結両国)が振り返るように、引かずに耐えて、攻め返す相撲が光った。
初優勝を全勝で飾った大関は、49年夏の15日制定着後、豪栄道を含めて5人。過去4人は54年初の吉葉山、82年秋の隆の里、87年夏の大乃国、94年名古屋の武蔵丸で、いずれも後に横綱へと昇進している。その1人、元大乃国の芝田山親方は豪栄道について「相撲が変わったから全勝できたんじゃないか。攻めと、諦めない気持ちで乗り切っていた」と精神面を評価する。
藤島親方(元大関武双山)も「先場所は常に攻める気持ちを持って挑んでいた。マークはきつくなるが、豪栄道自身は同じようにいけばいい」。場所前の稽古では低く鋭い立ち合いから、右四つになる自分の型を磨いた。攻めの姿勢が生む安定力。綱に挑む者にとって不可欠な資質が、備わりつつある。【木村有三】


