先日のコラムで、息子の不祥事で窮地に立った高畑淳子(61)の女優力が主演舞台「雪まろげ」で試されると書いた。

 東京・北千住の1010シアターから日比谷のシアタークリエに劇場を移した公演を見てきたが、高畑の女優としての底力を感じた舞台だった。

 「雪まろげ」は森光子さんが1980年に初演した。青森・浅虫温泉を舞台に流れ者の芸者夢子がついたウソが騒動に発展する喜劇で、脚本の小野田勇氏が森さんをイメージして書き上げた。森さんは陽気でかわいらしいながらも、か弱さやはかなさを漂わせる夢子を巧みに演じ、「放浪記」「おもろい女」に次ぐ代表作になった。

 「雪まろげ」は初演、再演、再再演で3度は見ており、正直、前半は森さんの姿、声が残像として頭の中に残っていた。柔らかく、自在な演技が持ち味の森さんに対し、感情の起伏が直線的で、テンションの高い高畑の夢子像になじめないところがあった。しかし、2幕後半、ウソを突き通せなくなった夢子が「全部、私がまいた種ですから」と謝罪する場面で舞台の空気が大きく変わった。

 それまでの周囲がうんざりするほどの陽気さに隠されていた夢子の孤独、寂しさがくっきりと浮かび上がった。ラスト、夢子が浅虫を去り、北海道に向かう場面では、森さんの時は切なくなるくらいの孤独感が漂い、思わず「頑張って」と声をかけたくなるが、高畑は孤独をも受け入れる強靱(きょうじん)さをにじませ、「彼女なら強く生きていける」と思わせた。

 森さんと高畑の芸質は違うから、舞台の印象も変わるのも当然だろう。「森さんはこうだった」という論は、高畑には酷かもしれない。1つのセリフを境に、高畑は「雪まろげ」を自分のものにし、女優力の高さを実証してみせた。来年、高畑は舞台出演の予定があるが、今回の不祥事余波で、出演するかを決めかねているという。「雪まろげ」のカーテンコールでは温かく、大きな拍手が起こった。ファンは高畑の舞台を待っている。【林尚之】