タレント萩本欽一(72)が15日、「五輪精神」で、シーズンプロ野球本塁打日本新記録を達成したヤクルトのウラディミール・バレンティン外野手(29)に拍手を送った。1964年(昭39)に巨人の王貞治(当時)が達成した55号本塁打にあやかり、坂上二郎さんとコント55号を結成。特別な記録が抜かれた落胆を抱えつつも、20年東京五輪開催決定の喜びとバレンティンの親孝行ぶりに感動し、新記録をたたえた。とはいえ、自身の本塁打日本記録の「記憶」はあくまで55号という。

 欽ちゃんの胸中は複雑だった。伝説のお笑いコンビ「コント55号」の心のよりどころでもある本塁打日本記録「55号」が塗り替えられ、「文句の1つも言ってやりたい」という思いもあった。だが、20年に東京開催が決まった五輪の精神も踏まえて言った。「オリンピックも決まったことだし、どこの国の人にも大きな拍手を送る精神ですね。バレンティンさんに大きな拍手を送りましょう」。

 親孝行ぶりにも心を打たれた。バレンティンは記録達成を控え、11日にオランダ・アムステルダムから母親のアストリットさん(64)を呼び寄せた。最近は意識してスポーツ報道を目にしないようにしていた欽ちゃんだが、偶然、日刊スポーツでバレンティン親子のツーショット写真を見てしまったという。「お母さんとのあのショットにやられた。これは打つなと思ったよ。親孝行する姿ってすてきじゃない。もう、気持ち良く拍手です」。

 それでも、欽ちゃんの原点は「コント55号」。64年に王が記録した55号にあやかり、66年に浅草・東洋劇場の関係者が命名した大事な名前だ。「王さんの55号にあやかって。ゴー、ゴー。進め、進めって。変な名前だなと。でも大好きな王さんの記録だし、バカにうれしくてね」。

 記録更新が話題になるたびに、「抜かれると名前の由来が揺らぐなと。いつもドキドキしていた」という。だが、記録が更新されたことで、改めて「55号」の偉大さを再認識したともいう。「55本は僕の記憶に残る偉大な記録。悪いけど(新記録は)何本打っても記憶には残せない。これからも王さんの55号を記憶していきたい。50年近く抜かれなかった王さんに、改めて感動ありがとう。王さんの記録に改めて拍手です」。【山田準】