04年アテネ五輪女子マラソン金メダルの野口みずき(32=シスメックス)が、東日本大震災の被災者にエールを送った。07、08年と仙台国際ハーフマラソンに出場した縁があり、24日までに個人で50万円の義援金を送った。昨年末に左足首を疲労骨折しながら、現在は12年ロンドン五輪を目指して調整中。日刊スポーツの独占取材に応じ「私は何度転んでも、またマラソンで復活したい。被災地のみなさんも」とメッセージを送った。

 野口にとって、仙台はかけがえのない場所だ。08年5月11日、仙台ハーフマラソン。3カ月後に迫った北京五輪への調整は、最終段階に入っていた。同大会で1時間8分25秒で優勝。女子マラソン史上初の五輪2連覇へ、その日までは順調に仕上がっていた。

 野口

 まだ私が元気な時で、気持ち良く走った最後のレースかもしれない。東北には縁があって、たくさんの人に応援してもらいました。空気がきれいで、山と川があって、私の心にある大好きな場所なんです。

 その後、五輪目前に左足肉離れで北京で走ることはできなかった。絶望感に襲われ、自分の走る道まで見失いかけた。そんな時、シスメックスの恩師藤田信之総監督が起こした「フジタ・ランニングアカデミー」のイベントで昨年9月に宮城県利府町を訪れた。

 野口

 子供たちから元気をもらったんです。みんなキラキラした目で私を見てくれた。たくさん勇気を得ることができた。

 走ることは楽しい-。忘れていた原点を教わった。昨年12月19日。復帰2レース目となった全日本実業団女子駅伝で、体調不良で失速。直後に左足首疲労骨折で全治6週間となっても、また12年ロンドン五輪へ向けて走り始めた。それは東北のファンが教えてくれた「希望」があったから。その人々が大震災で苦しんでいる。いてもたってもいられなくなったという。

 野口

 私は故障を繰り返して、何度も転んだけれど。転んでも、転んでも、また起き上がって走ります。また五輪に出たいっていうか、マラソンで復活したいから。東北の人たちに応援してもらったから。また(仙台の)美しい街を気持ち良く走りたいし、時間はかかるでしょうけど、少しずつ、必ず復興してほしい。今度は私が、何かしてあげる番だと思います。

 野口は今、拠点の京都で練習を続けている。自身の復活を願い、東日本の復興を祈りながら。【益子浩一】