現役アスリートや指導者を育んだ、ふるさとの秘密を探る「地域のチカラ」。2回目は、16年リオデジャネイロ五輪を目指すサッカーU-22日本代表を率いる手倉森誠監督(47)の故郷・青森県五戸町を訪ねた。代表監督就任前、J1仙台を躍進に導いた名将が育ったのは、戦後まもなく強化に乗り出した「サッカーの町」だった。

練習でU22選手を指導する手倉森誠監督
練習でU22選手を指導する手倉森誠監督

 五戸町を紹介する冊子には「3Sの町」とある。町役場の企画振興課に勤める寺尾大輔さん(39)によると「サッカー、坂、桜肉(馬肉)のSなんです」。山間で自然に囲まれているから平らな道はほとんどないし、馬産地というのも納得できる。なぜ人口約1万8000人の小さな町にサッカー文化が根付いたのか。手倉森監督と幼稚園からの同級生・丸山忠さん(47)、2学年上で五戸高サッカー部主将だった宮崎純一さん(50)に聞いてみた。

 丸山さん 中学、高校だけじゃなくて、町役場も全国3連覇するくらい強かったから、物心ついた頃にはボールを蹴っていたよ。誠との思い出? サッカーをやったことしか浮かばない(笑い)。

五戸高2年時に全国高校選手権に出場した際のU-22日本代表手倉森誠監督(手前列右から3人目)
五戸高2年時に全国高校選手権に出場した際のU-22日本代表手倉森誠監督(手前列右から3人目)

 宮崎さん 小学校の時は朝礼までの1時間くらい、体育館で野球ボールサイズのビニール製のカラーボールを蹴って遊んだもんよ。全校で1000人くらい生徒がいたけど、よくぶつからなかったなぁ。

 丸山さん 懐かしいですね。あんな小さいボールを蹴っていたから、技術が身についたのかもしれない。

 宮崎さん 少年団にも1学年30人くらい入ってて、全部(小3~6年)で100人以上いたんだよ。

五戸中学校の校舎にはサッカーの壁画が描かれている
五戸中学校の校舎にはサッカーの壁画が描かれている

 全学年がカラーボールでサッカー!? ブラジルのストリートサッカーみたいだ。自然な流れで触れた“遊び”が、代々受け継がれていったのだろう。生徒の10%以上が少年団に所属していたのも驚きだ。五戸がサッカーの町になっていく経緯を調べてみた。

 歴史をたどると、1946年(昭21)に誕生した「五戸蹴球クラブ」が起源のようだ。同町出身の江渡達男氏が「地元五戸をサッカーの町に」と設立したとある。東農大サッカー部を経て五戸農業会に就職した同氏は、普及と定着のために56年に五戸中、翌57年に五戸高にサッカー部をつくった。当時、県内に中学のサッカー部は4校だけで、創部2年目から県3連覇。この選手たちが五戸高に進むと60年から県4連覇。約10年あまりで、サッカーという1本の道ができたのだ。

U-22日本代表手倉森監督が練習で走った、五戸高校のグラウンドに向かう坂
U-22日本代表手倉森監督が練習で走った、五戸高校のグラウンドに向かう坂

 環境もサッカーの強化につながったに違いない。坂が多いため自転車に乗る人はほとんどおらず、高齢者は電動カートで車道の真ん中を走っている。五戸高の校舎からグラウンドまでの道のりにも“心臓破りの坂”があった。舗装されておらず、歩いても息が上がるほどの急斜面だった。

 丸山さん 1年生の時はダッシュで50往復くらいさせられた。高校以来30年ぶりに上ったよ。こんなにキツいのか(苦笑い)。ここに住んでるから何も感じなかったけど、足腰が鍛えられたのかもしれないね。

 証拠もあった。手倉森監督がサッカー用品を買いに通ったマツオスポーツに、高校時代の写真が飾られていた。みんな足が太く、下半身がガッチリしている。

 五戸のサッカー少年なら誰もが食べたことのある“ソウルフード”もあった。通称「ガリモリ(もりたて)」と親しまれる焼きそばだ。食堂のメニューは焼きそば大350円、小230円と、おでんだけだった。

U-22日本代表手倉森誠監督が高校時代に食べていた焼きそば
U-22日本代表手倉森誠監督が高校時代に食べていた焼きそば

 おかみさん (先代の)母の時代から子どもたちがよく来てくれて、大人になっても食べに来てくれる。みんな手倉森さんを応援してるけど、青森はテレビのチャンネルが少なくて、試合(U-22代表戦)が中継されないのが残念なのよ。

国体や高校選手権県大会の決勝が行われた五戸町ひばり野公園。サッカー場には人工芝が敷き詰められている
国体や高校選手権県大会の決勝が行われた五戸町ひばり野公園。サッカー場には人工芝が敷き詰められている

 66年、初めて高校総体でサッカー競技が行われた地が五戸だった。77年の国体でも、町内のひばり野運動公園がサッカーの開催地となった。五戸中の校舎にはサッカーの壁画が描かれ、雪国で海に面していなくてもビーチサッカー場が存在する。小、中学生の女子チームもそれぞれあり、現在、町内の老若男女9チーム約170人が活動している。食べ物はおいしく、人も温かい。「サッカーの町・五戸」から、代表チームを率いる監督が生まれたのも納得できた。【鹿野雄太】

青森県五戸町
青森県五戸町

 ◆青森県三戸郡五戸町 JR八戸駅から車で約20分、県の太平洋側南部に位置する。1915年(大4)に五戸村が町制を施行し五戸町となる。55年に浅田村、川内村が合併。04年に倉石村を編入。総面積177・67平方キロメートルの半数以上が森林。人口は1万8417人で、手倉森姓は87人(4月1日現在)。馬肉、倉石牛、長いも、りんご(紅玉)、にんにくが名産。三浦正名町長。