<フィギュアスケート:グランプリ(GP)ファイナル>◇2日目◇8日◇ロシア・ソチ

 お母さん、真央は頑張りました-。SP1位の浅田真央(22=中京大)が、激しい腰の痛みに耐えながらフリーでも1位の129・84点。合計196・80点で、2位以下に約15点差をつける圧勝で、4季ぶり3度目のGPファイナル優勝を果たした。昨年大会は母匡子(きょうこ)さんの体調急変で欠場し、今日9日が一周忌。誓った金メダルへ、14年五輪会場での前哨戦で、最高の報告ができた。鈴木明子(27)は115・77点で合計180・77点の3位だった。

 あれから1年、思いが涙となって浅田のほおをつたった。優勝会見、母への言葉を聞かれると「あまり、いつもと変わらないと思うので…、はい…」と声を絞り出しながら、目が潤む。「すいません」と顔を正面から外し、左指でこぼれる涙をぬぐう。言葉にならないほどの母への気持ちが、22歳の体を震わせていた。

 ロシアの作曲家チャイコフスキーの「白鳥の湖」。母が愛したバレエの代表曲。振り付けのタラソワ氏が、この曲を選んだのも運命だろうか。幼少期、フィギュアより先に通ったのはバレエだった。それは自分も子供の頃に習いたかった母が、娘にバレリーナになって欲しかったから。いま、娘は本場ロシアで氷上のプリマバレリーナになった。「とても気に入っているプログラム。皆さんにみせたかった」と胸を張った。

 腰の痛みは限界だった。日本での最終調整で持病が再発。6分間練習を終えると珍しく弱音を吐いた。「中途半端はいけない。やめるならやめよう、やるならやる」と佐藤信夫コーチに諭されるほど。意を決した。「やります」。最後は「どんなもんだというのを見せてきなさい」と送り出された。独特の言い回しに「そのひと言で気持ちがわいた」と氷上に飛び出した。

 白鳥の湖の曲が流れると、さすが本場。早速の拍手に背中を押された。回転不足のジャンプもあった。11月のNHK杯では片手で回っていたビールマンスピンも、今回は回りやすい両手。それでもスピードは緩まない。最後は大きく羽を広げるように両手を広げ、笑顔が浮かんだ。

 カナダのケベックで開かれた昨年大会。SPを翌日に控えた8日、浅田は大会を欠場し、緊急帰国した。7日から明け方にかけ、日本から母の容体が悪化したと連絡が入った。9日早朝、最愛の人は息を引き取った。最期の時には間に合わず、無言の対面。何度も「真央だよ!」と叫んだが、目を開くことはなかった。

 悲嘆に暮れるなかで、思い出した母との約束。「自分の夢に向かって、やるべきことをしっかりやる」。それが母が喜んでくれることと思い、23日からの全日本選手権に出場して優勝。大会期間中、1度も「母」という言葉を使わなかった。喪失感を伴うその言葉は、悲しみの大きさから使うことはできなかった。

 1年がたったいま、自分の夢、そして母の夢である五輪での金メダルへ、前を向く。「お母さんは…」。コーチの佐藤夫妻との会話でも、母が諭してくれた言葉を思い出し、口にすることもある。久美子コーチは「最近ですね、ようやくあの時のことを乗り越えてきているんだと思います」。あの時は言えなかった「お母さん」。いまは言える。大きな悲しみの先に、2人の、家族の夢がかなう喜びがあると信じている。

 GPシリーズでは日本人初の3連勝、さらに自身初の国際大会での3連勝にもなった。だが、目指すは1年2カ月後に迫る2度目の五輪の舞台。「またここに戻ってきたい」とほほ笑んだ。次戦は全日本選手権。より母に近い場所で、華麗な銀盤の舞を届ける。【阿部健吾】