<柔道:世界選手権>◇第6日◇30日◇ロシア・チェリャビンスク◇男子100キロ超級

 

 世界ランク8位の七戸龍(25=九州電力)が、同級の日本勢で05年大会準優勝の棟田康幸以来のメダルとなる銀メダルを獲得した。決勝では6連覇を飾ったロンドン五輪王者のテディ・リネール(フランス)に指導の差で敗れたが、互角に渡り合った。初出場の昨年7位から躍進し、低迷が続く重量級の再建に兆しが見えた。

 13秒。13年2月の国際大会で初対戦した時、七戸はリネールに13秒で一本負けした。あれから1年半。「以前よりも戦えると思ったし、隙がないこともない」。2度目の対戦は、急接近した手応えを残した。

 「あの戦い方が理想」。最強王者の投げ切る柔道にある種の感銘も受け、追求してきた。だから、「本家」との決勝では「一発の技で勝負したかった」。序盤から大外刈りでぐらつかせる。圧力を増した相手に押されて指導3つを重ねたが、残り39秒で大内刈り。十八番の一撃は、相手を肩から横ばいに畳にはわせ、有効判定されてもおかしくなかった。追い詰めた。

 準決勝までも、確かに進化を刻んだ。正面から組み手争いを挑む。「勝てば日本のレベルが戻ってきたことを示せる」。3回戦は1分41秒、準々決勝は2分4秒、準決勝では技ありを奪われたが、攻めて大内刈りで技あり2本。4分35秒に合わせ技で一本勝ちした。

 5月に大きな決断をした。10日に一般女性と結婚式を挙げると、愛妻を福岡に残し、14日から東京で1人暮らし。「海外のレベルを見ていると、今のままでいいのか」と悩んだ末だった。以前は代表合宿ではおなかを壊すなど、極真空手師範の父康裕さん譲りのマッチョな肉体に似つかわしくない繊細さがあった。それを克服したかった。

 九州電力では法人営業部で仕事してきたが、会社側の協力で東京支社での総務部付に。時間のゆとりができ、より柔道に打ち込める環境ができた。沖縄生まれらしく、電車移動などで戸惑う日々も、精神的にタフになるためだった。

 妻はいきなりの単身赴任も理解してくれた。だから、競技で結果を残すことが恩返しになる。「『大舞台を直で見てみたい』と言われます」と、新婚旅行は2年後のリオデジャネイロ五輪で。縮まったリネールとの差。「五輪までに突き詰めていきたい」。今度は倒し、最高の夫になる。

 ◆七戸龍(しちのへ・りゅう)1988年(昭63)10月14日、沖縄県生まれ。「本部の怪物」と呼ばれた極真空手師範の父康裕さんのもと、空手と並行して7歳で競技を始める。上山中に空手部がなく柔道一本に。那覇西高から福岡大に進み、11年に九州電力に就職。国際大会では2月のグランドスラム・パリ優勝など。「龍」の由来は空手の創始者大山倍達が強さのイメージを表した「龍虎」からで、弟虎は100キロ級の選手。得意は大内刈り。右組み。母ベラさんはベルギー人。193センチ、120キロ。

 ◆男子重量級の世界選手権メダル

 100キロ超級では05年の棟田康幸の銀メダルが最後だった。過去金メダルを獲得したのは、山下泰裕、小川直也(ともに当時は95キロ超級)、篠原信一、棟田康幸の4人だけ。07年からはリネールが6連覇中。11年までは無差別級も行われており(08、11年は無差別級だけで開催)、同級では11年に鈴木桂治が銅メダルを獲得している。