<日本生命セ・パ交流戦:ソフトバンク2-2阪神>◇11日◇ヤフオクドーム

昭和の時代まで大阪が本拠地だったホークスにとって阪神は羨望(せんぼう)の球団だったろう。甲子園は戦績に関係なくスタンドは膨れ上がり、閑古鳥が鳴く大阪球場とは対照的な姿を見せつけた。関西に存在した電鉄4球団は今、阪神だけが生き残りホークスは福岡へ、近鉄、阪急は合併してオリックスが担っている。

絶大な人気に支えられながら、不思議なことに日本一は85年(昭60)の1度だけ。昭和の時代にV9巨人が行く手を阻んだとはいえ、80年を超える球団史の中で昭和が3度、平成3度、計6度のシリーズ進出、日本一1度はあまりにもさびしすぎないか。今季、矢野阪神で悲願の栄冠をつかむことはできるだろうか。

ホークスが福岡移転後初の日本一になった99年、ようやく手にした栄光に気をよくした中内功オーナー(故人)は言った。「これからは『巨人、大鵬、卵焼き』ではなく『ダイエー、曙、ハンバーガー』や」。残念ながら本社ダイエーの経営難でチームは身売りの憂き目に遭ったが、チーム力は衰えることなく「常勝」の道を歩み続けている。

ホークスは過去の経験を積み重ねながら、若手の台頭も頼もしい。僅少差ながら追う展開の中、ブルペン陣が踏ん張った。新人甲斐野が7回を3人で片づけると8回は2年目椎野が糸井、大山の3、4番コンビを見逃し三振に切って3者凡退。打線の奮起を促した。

延長12回にもつれ込むロングゲーム。「今年の阪神さんは昨年とは違う」と警戒心を強めていた工藤監督もチームの粘りに目を細めた。交流戦はペナントに直結する戦いであると同時に、「秋」を見据えるチームにとっては“前哨戦”でもある。平成に阪神とのシリーズを2度制したホークスにとって、そう簡単に星は落とせない。【ソフトバンク担当 佐竹英治】

3番手で登板した椎野新(撮影・栗木一考)
3番手で登板した椎野新(撮影・栗木一考)