遊撃の守備位置に就きファンの声援に帽子を取って応える鳥谷(撮影・前田充)
遊撃の守備位置に就きファンの声援に帽子を取って応える鳥谷(撮影・前田充)

<阪神3-0中日>◇30日◇甲子園

今季限りで阪神を退団する鳥谷敬内野手(38)のレギュラーシーズンラスト甲子園は、感動あふれる会心勝利となった。仲間からのサプライズ、ファンのカーテンコール、そして奇跡のCS進出。日本シリーズで再び聖地に立つ夢が広がった。クールな印象も強かった背番号1だが、ここ数年は苦境から泥臭くはい上がる姿に共感するファンも多い。「虎のレジェンド」の生きざまとは。長年密着取材を続けてきた遊軍・佐井記者が素顔の一端を紹介する。

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よく勘違いされがちだが、鳥谷は自分をエリートだと考えたことがない。小学生のころ、ある大型プールで中日のエース格だった山本昌に遭遇。「こんなに大きな体じゃないとプロには行けないんだ」と絶望した。聖望学園時代は「引っ張れない」とレッテルを貼られ、ドラフト指名から漏れた。ようやく全国的に脚光を浴びたのは早大で活躍し始めてからだった。

だからだろうか。いわゆる「エリート街道」にこだわりがない。どん底からはい上がる状況にも抵抗がない。出番が激減したこの数年でさえ「いろんな立場の人の気持ちが分かるようになる。この年齢でこういう人生勉強をできるのはありがたい」と前向きにとらえていた。バックボーンを聞けば聞くほど、苦境に立たされても心折れない姿に驚きはなくなっていく。

「自分は野球をやっているだけで偉いなんて思ったこともない」と真顔で言う。素顔は飾らない38歳だ。後輩と焼き肉屋に行けば、率先してトングを持って話題を振りまき、周りの笑顔を喜ぶ。野球の技術やメンタルからプライベートまで、相談されれば親身になる。もちろん、いつだってストイックにトレーニングに精を出す。16年間スタイルがブレることはなかった。

16年から毎年1月になるとハワイで自主トレに励む。つい南国ムードをイメージしてしまいがちだが、球界屈指のハードメニューはDeNA大和ら参加者が恐怖を抱くほど。中でも鳥谷は朝5時からトレーニングを始め、宿泊先から野球場、ジムを行き来するだけの日々を平然と続けている。

聞けば、この4年間でワイキキビーチに足を踏み入れたのは初年度の1度きり。しかも「たった5分だけ」だったらしい。以来、エメラルドグリーンの海は風景の一部でしかない。

今年のハワイ自主トレ中、あるメンバーの右肩があまりの筋肉痛で上がらなくなったことがあった。次のメニューは一塁送球が必要な内野ノック。鳥谷は「次どうする?」と声をかけ、「とにかくやってみます」と返されると、とびきりの笑顔で声を張り上げた。

「そうだよな!何事もやってみないと分からないよな!」

座右の銘は「向上心」。挑戦が困難であればあるほど心躍る。【07~13年、15~18年阪神担当、遊軍=佐井陽介】

◆鳥谷敬(とりたに・たかし)1981年(昭56)6月26日生まれ、東京都出身。小学2年から野球を始める。聖望学園(埼玉)では3年夏に甲子園出場。初戦の日田林工(大分)戦で2安打2打点、救援でも登板したが敗退した。早大に進み、2年春に東京6大学史上最速タイで3冠王に輝くなど活躍。03年ドラフト自由枠で阪神入団。2年目の05年に遊撃の定位置を獲得し、1939試合連続出場はプロ野球2位、全イニング連続試合出場667はプロ野球5位。10年から2年間、選手会長も務めた。13年WBC日本代表。180センチ、79キロ。右投げ左打ち。

練習前、鳥谷Tシャツを着たナインが鳥谷を出迎える(撮影・上山淳一)
練習前、鳥谷Tシャツを着たナインが鳥谷を出迎える(撮影・上山淳一)