何げない一言で、投手陣のスイッチを入れる。オリックス瓜野純嗣(うりの・すみつぐ)ブルペン捕手(36)に、NPBでの選手経験はない。裏方ひと筋で生きて11年目。自身がヒットを打つことも、アウトを取ることもない。ただ、勝利に欠かせない存在であることは間違いない。

「マウンドは投手が必死に戦う場所。試合は緊張して当然だと思うんです。だからブルペンはリラックスしてもらう場所に。そう心掛けてます。(ブルペンの)電話で呼ばれて『行くぞ!』ってなるまでは」

任される「職場」のブルペンには、毎日一番乗り。試合開始30分前、先発投手の「恋女房」へと化ける。「こちらから投球の指摘を言うことはないですね。何かを聞かれれば答えられる準備をしています。『今日、ここ変えたけどわかった?』って一言に答えられるように。曖昧はよくない。確信を持って返事できるように、昔の映像を何回も見返したりしてから、話すようにしていますね」。

仕事は、ブルペン投球を受けるだけでない。裏方の朝は早い。早出練習開始の2時間ほど前に球場入り。朝風呂で体を温め、ストレッチ。早出練習では打撃投手を務める。練習後は自身のウエートトレーニングで体を鍛える。「自分だけ練習してないのは、ちょっと違うな」と、選手たちと日々、息を合わせる。

そんな欠かさない準備が信頼へとつながる。ブルペンでは、ピッチングを受けた日付、球数などを細かく手帳に記入。リリーフ陣が飲む水の確保や、用具係も兼ねる。「みんなが野球に一生懸命になれるように、ですね」。

10年にオリックスへ入団。最初の5年間はファーム担当だった。「1軍に上がって、その投手が投げているだけで本当にうれしかった。プロの世界で、1軍で投げるって、ものすごいことですからね」。15年からは1軍担当。「勝ち星を重ねたり、タイトルを獲ってくれたり…」。選手の功績が、宝物になる。

今季で裏方生活11年目。何人もの投球を受けてきた。なかでも仰天させられたのは金子弌大投手(日本ハム)だ。「全部の球種が一級品。キャッチボールでも、変化球を『こう曲げるね』と言って、本当にそういう軌道でボールが来る。例えば、シュートを『シンカー気味に落とす』って言ったら、その通りにできる。天才ですね、金子さんは。どの球種を投げてもフォームが一緒なんです」。シーズンでのキャッチボール相手も、ずっと任された。「プロとしての行動をたくさん教わりました」と敬意を示す。

ここ最近で質問をよく受ける投手は山本由伸だという。「『瓜さん、ボールどうですか? 強いですか、弱いですか? 』って、よく聞いてきますね。由伸は全部が速い。カットボールもフォークも、考えられないぐらい速い。真っすぐと、ほとんど一緒のスピードという感覚で受けてます」。若手からの信頼も厚い。

あの日の気持ちを忘れることなく、ミットを構える。自身がプレーヤーを諦めたからこそ、選手には夢を追ってほしいと願う。瓜野は18歳で野球生活を断念した。「高校で野球に燃え尽きたんです。大学に進学したんですけど、力が入らなくて…全部を辞めましたね。車屋さんで働きたい気持ちがあったので、その仕事に就きました」。辞めた。白球を受けることはなくなった。「そこから3年間、一切、野球はやらなかった。でも(福岡に)テレビ番組の野球チームを作ることを聞いて。友達とテストに参加しました。ただ…。そこで最終選考で落ちて…。それに悔しくて、そのときの仕事を辞めて、また野球やろうって本気で思いました」。やっぱり、野球が好きだった。

その後はバイト生活。午前5時から5時間を働き終えると、午前10時からは、すぐに練習。ジムとグラウンドを往復する日々を続けた。「最初は動けなかった。何もしてなかったんで。まずはランニングから始めようとしたんですけど、2kmも走れなかったんです」。22歳。独立リーグ福岡に合格。捕手としてプレーしたが「プロの世界、人生で1回は見てみたいなぁ」と考えた。オリックスから仕事の話をもらい、NPBの扉を開いた。それでも「まだ現役で野球をやりたい気持ちもありましたね。あのとき、ブルペン捕手のテストを受けるのに、バットを持って行きました」。だからこそ、選手には未練のない野球生活を送ってほしい。その一心で、今日もまたミットを構える。

36歳。心待ちにする瞬間がある。「優勝を味わってみたい。少しでも貢献できるように、自分の仕事がしたい」。チームを支える裏方にも、人生のドラマがある。【オリックス担当=真柴健】

◆瓜野純嗣(うりの・すみつぐ)1984年(昭59)9月27日生まれ、福岡県出身。沖学園-第一経済大(中退)-福岡レッドワーブラーズ。10年にオリックスへ球団スタッフとして入団。今季で11年目。背番号110。リフレッシュは5歳の息子とのキャッチボール、3歳の娘と遊ぶこと。184センチ、82キロ。右投げ右打ち。