BIGBOSSを見るたび、32年前の「予言」を思い出す。日本ハム新庄剛志監督は1989年(平元)ドラフト5位で、阪神の指名を受けた。彼のプロ生活初の原稿を日刊スポーツに書いたのは、当時虎番の私だった。

同年12月22日に大阪市内のホテル阪神で行われた入団発表に、新庄少年は現れた。1位指名の葛西稔投手(法大)を手始めに、質疑応答が行われた。5人目にようやく回ってきた順番で、司会から「新庄君はカッコいいから、もてたんじゃありませんか?」との質問が出た。

以下は、その答えを受けて私が書いた原稿である。

「自ら“人気者宣言”をやってのけたのが5位指名・新庄だ。『自分で言うのも何ですが、学校では人気のある方だったんですよ』とすまし顔で語り、場内の大爆笑を誘った。女生徒が全体の3分の1しかいない西日本短大付で、20人近くの女生徒から愛の告白を受けたというから恐れ入る。人気低迷に悩む阪神にとって、貴重な存在となれるか!?」

自慢するでもなく、照れるでもなく、聞かれたことに真正面から答えた-。そういった印象を持った。このおおらかさに、何ともいえぬほほ笑ましさを感じた。

このときのドラフトでは、史上最多の8球団から入札された新日鉄堺の野茂英雄投手が話題を独占していた。近鉄に入った怪腕のあおりを受け、翌日以降の紙面から阪神の記事は目に見えて減った。新庄の入団1年目90年から阪神は、2年連続最下位。観客動員も不振で、スター選手が望まれる状態となった。

そんな中で迎えた3年目の92年に、新庄はさっそうと1軍に登場する。その後の活躍、そして球界に巻き起こした一大旋風には多言を要しない。将来を予見するつもりなど全く、何の気なしに使った私の表現は、振り返ればその後の彼を言い当てた形となった。球界を活気づけ、球場に人を呼ぶという点で、彼以上の「貴重な存在」はいるだろうか。

以来ゆっくり取材したことはない。ただ、早くも列島の話題を集めるBIGBOSSの笑顔を見ると、今も学生服姿の17歳を思い出す。今度は監督として、優勝の記者会見が行われるだろうか。32年前のおおらかさのまま、ファンに喜びを伝えてほしい。【記録担当=高野勲】