阪神の貴重なバイプレーヤー、熊谷敬宥(たかひろ)内野手(26)は、意外な「珍名さん」として球史にその名を刻んだ。長いプロ野球の歴史の中で、「熊谷」という名字の選手は彼が初である。

社会全体でみれば、とりたてて変わった姓とはいえない。インターネットサイト「名字由来net」によると、全国に熊谷姓はおよそ12万9000人。東京・国分寺市や山口・岩国市の人口に匹敵する。珍名選手として話題となった阪神の新人、桐敷拓馬投手と同姓の人数は、同サイトによると約120人だという。熊谷さんは日本に、桐敷さんの1000倍以上いる計算だ。

プロ野球に在籍した選手の中で、「熊」という漢字を使う選手は熊谷を含め15人。このうち公式戦に出場したのは10人だ。主な選手を挙げると

◆大熊忠義(おおくま・ただよし=64~81年阪急)盗塁王の福本豊と名コンビを組み、2番打者として阪急黄金時代を支えた。95年、97~98年には阪神のコーチも務めた、熊谷の大先輩でもある。

◆熊野輝光(くまの・てるみつ=85~91、94年阪急・オリックス、92~93年巨人)ロサンゼルス五輪金メダリスト。好打の外野手として1年目から定位置をつかみ、14本塁打を放って新人王を獲得した。

◆小熊凌祐(おぐま・りょうすけ=09~20年中日)13年に中継ぎで頭角を現す。16年には先発もこなし5勝を挙げた。カーブを生かした、メリハリの利いた投球が持ち味だった。

「熊」という漢字を含む名字のプロ野球選手の中で、正真正銘の珍名さんが「熊耳武彦」選手だ。なんと「くまがみ・たけひこ」と読む。台湾・台北工からコロムビアを経てプロ入り。46~48年にセネタース・東急・急映と球団名(現日本ハム)が変わる中、捕手として、その風変わりな名前をファンに披露してきた。46年には100試合に出場し、92安打と活躍。50年の大洋(現DeNA)を最後に、現役を退いている。

名字に「耳」という漢字を使う選手は、現在も熊耳が唯一無二である。先述のサイトによると、この姓は日本に約640人だそうだ。なんとも珍しい「熊耳」選手が1946年(昭21)に登場。それから72年後の2018年に、さほど珍しくない「熊谷」選手が初めてプロの一員となった。なんとも不思議な話である。

今季の阪神熊谷は5月5日現在、早くも4試合のスタメンを勝ち取った。脚力を買われ、代走での出場も4試合ある。限られた打席の中で決めた4犠打は、中野の7犠打に次ぎチーム2位だ。堅実なプレーぶりで、存在感は増している。名字に負けない意外性も身につけ、今後もスコアボードにその名を輝かせてほしい。【記録室=高野勲】(スカイA「虎ヲタ」出演中。今年3月のテレビ東京系「なんでもクイズスタジアム プロ野球王決定戦」で準優勝)