プロ通算121勝の名投手、若生智男さんの訃報に接し、ある外国人選手を思い出した。若生さんとの交換トレードの相手だった、マイク・ソロムコ外野手である。さまざまな意味で、球史に名を残す存在である。

ソロムコは60年に米球界から阪神入りした。球団ではそれまでハワイから日系アメリカ人選手を獲得したことはあった。ただ、いわゆるカタカナ名前の外国人はソロムコが初である。

「阪神タイガース 昭和のあゆみ」によると、ソロムコは米軍の兵士として日本に駐留していた。59年まで監督を務めていた田中義雄の紹介で、阪神にテスト入団するという縁だった。

1年目は60年7月5日巨人戦から9日国鉄(現ヤクルト)戦まで4試合連続本塁打という活躍を見せた。とはいえキャリアハイは61年の21本塁打、70打点、2割7分で、助っ人としてはやや物足りない。阪神がセ・リーグ初優勝を飾った62年は14本塁打で打率2割2分2厘と平凡な数字だった。

63年オフに転機が訪れる。大毎から東京にチーム名を変えたオリオンズに、若生さんとの交換で移籍することになったのだ。

阪神ではこのオフ、長年のエース小山正明と大毎の強打者、山内一弘の「世紀のトレード」を成立させていた。攻撃力は大幅にアップしたものの、エース流出は痛い。そこで打者のソロムコを放出し、若生さんを獲得するという側面もあった。

外国人選手と日本人との交換トレードは、これがNPB史上初だった。

東京では2年間で169試合の出場に終わり、現役を引退した。その後も日本に残り、会社を経営するなど多才な面を見せた。娘のクリスさんは日本でモデルとして活動するなど、家族ぐるみの親日家だった。

NPB実働6年で622試合出場、509安打、95本塁打、274打点、打率2割5分。お世辞にも名選手だったとは言えないが、数字だけが名前を残す術でもない。そんなことを思わせてくれる個性派助っ人だった。【記録室=高野勲】(22年3月のテレビ東京系「なんでもクイズスタジアム プロ野球王決定戦」準優勝)

62年7月、巨人戦で本塁打を放ちナインに迎えられる阪神マイク・ソロムコ(左から3人目)
62年7月、巨人戦で本塁打を放ちナインに迎えられる阪神マイク・ソロムコ(左から3人目)