いつものように野球部寮「一誠寮」の食堂で、応援歌「ただ一つ」を歌い、神宮へ向かうバスに乗り込む。とどまるところを知らない“赤門旋風”。昨日は立大のエース野口裕美を倒した。今日も勝てば、明大との決戦が待っている。さぁ行こうぜ!

1981年(昭56)5月10日、東大-立大2回戦。日曜の神宮球場は、前日を上回る2万5000人の観衆で埋まった。東大は、前日の試合で5失点ながら完投勝利を挙げた、エース大山雄司を温存。2番手の水原義孝を立てた。

東大は2回、連投の立大・野口から1点を先制するも、3回に3点本塁打を浴びて、1-3で敗れた。

81年5月11日付本紙東京版には「東大ストップ」の見出しの下に「エース大山温存の余裕」の文字が並ぶ
81年5月11日付本紙東京版には「東大ストップ」の見出しの下に「エース大山温存の余裕」の文字が並ぶ

「次、勝てばいい」「明日、明日」。東大ベンチから声が上がり、平野裕一監督も「夜のミーティングでは“もう1つある。みんな頑張ろう”というだけです」とコメントした。エース大山を温存しての敗戦をスポーツ紙は「余裕」「捨てゲーム」と評した。まだまだ東大の勢いは、止まらない、と誰もが思っていた。

だが“風”は、やみ始めていた。怖いもの知らずののびのび野球で勝ち進んできた東大も、優勝が見えて欲が出てきたのかもしれない。あるいは、周囲の期待が、選手に重圧や緊張をもたらした可能性もある。いずれにしても、快進撃を支えた伸びやかさが消えつつあった。これまでの東大なら、連投の野口を立ち上がりで打ち込んでいただろう。だが、攻略しきれず、終盤は凡打を繰り返した。

東大-立大3回戦が行われる11日の月曜。東大はこの日、全学を休校とした。スタンドには、学生、教職員、OBら、快進撃をひと目見ようと、平日にもかかわらず2万人が押し寄せた。TBSテレビは、注目のカードの生中継を急きょ決定。注目度はいや増しに高まっていた。

東大のスクールカラー、ライトブルーに染まったスタンドを見て、立大の野口は圧倒されそうになった。3連投で体は重いが、東大打線を抑える自信はあった。直球を狙い打たれた1回戦から配球を変え、2回戦は、カーブ中心の組み立てが奏功していたからだ。「だが、味方が大山さんを打てるだろうか。とにかく味方が点を取るまで取られちゃいけない」。

一方、大山も同じことを考えていた。連投の疲れも見せず、味方の貧打を嘆くでもなく、淡々と「0」を重ねていく野口は「ゾーンに入っている」ように見えた。「俺にかかっている。立大には負けない。1点勝負だ。先取点を取られないように」。

全国が注目する東大-立大3回戦は、大山と野口の息詰まる投げ合いで、延長12回表を終わって0-0。連盟の規定により、この回裏で試合は打ち切り。先攻、立大の勝利は消えた。

「ここを投げきっても、まだ、もう1試合あるのか…」。疲労困憊(こんぱい)の野口がマウンドに向かう。12回裏、東大の攻撃が始まった。(つづく)【秋山惣一郎】