1981年(昭56)5月11日。0-0のまま迎えた東大-立大3回戦は、延長12回裏1死一、二塁、一打サヨナラの場面。打席には、東大のエース大山雄司が入った。

狙い球はひとつ。直球だ。マウンドの立大のエース、野口裕美は2回戦以降、落差の大きなカーブを多投している。だが、どこかで必ず直球を投げてくる。

大山は、バットを短く持って立大守備陣を見回した。三塁手は、試合終盤の守備固めで出てきた選手。守りは堅そうだ。左翼手は定位置より前にいる。左前打で、二塁走者を生還させない作戦だろう。

カウントは2ボール1ストライク。考えた通り、野口は内角に直球を投げ込んできた。「来た!」。バットの芯で捉えた手応えがあった。強烈な打球がワンバウンドして三塁線に飛んでいく。大山が走りだす。野口は「やられた!」と振り返る。

2人の視線が重なる先に三塁手がいた。片膝をつき、逆シングルのグラブに打球をきれいに収めて、三塁ベースにタッチ。二塁走者封殺。後続も倒れ、連盟の規定により引き分け。勝ち点の行方は、翌日以降に持ち越された。

何とか投げきった野口は、肩で息をついた。「東大から勝ち点を取るのが、こんなに大変なのか」。

大山もまた、同じことを考えていた。「法大や明大ならともかく、立大に勝つのが、こんなに大変だとは」。

翌12日の東京地方は、朝からの雨。4回戦は、雨天順延となった。

埼玉県志木市の野球部寮で、野口は軽く汗を流し、ゆっくり休んだ。1回戦で10得点の東大打線を、2回戦の3回表以降、19回無得点に抑えている。攻め方は間違っていない。この連戦が始まる前に「立大にも優勝の可能性がある。東大は意識していない」とコメントしたが、3戦を終えて気持ちは変わっていた。

「優勝より、今は東大に負けたくない」

本来なら次戦は、救援に回る大山も思った。

81年5月、東京6大学春季リーグ 立大対東大 東大初優勝が消え、「何も話したくありません」と引き揚げる大山
81年5月、東京6大学春季リーグ 立大対東大 東大初優勝が消え、「何も話したくありません」と引き揚げる大山

「ここまで来れば、お互い意地だ。ヤツ(野口)は、次も絶対に来る。4回戦も俺がいく」

13日の水曜。1回戦で勝って失われつつあった東大ののびのび野球は6回、立大が先取点を挙げると、完全に消えた。誰も口には出さないものの「まずい」という空気が、ベンチを覆った。平常心を失い、焦る東大打線は、休養十分の野口の前に散発3安打。4回以降は二塁も踏めなかった。0-1。勝ち点を失い、優勝の目はなくなった。

「負けた者に聞くことなんかないでしょう」

そんな捨てぜりふめいた言葉を残して、大山はロッカー室に駆け込んだ。「もちろん勝ちます」とか「優勝しますよ」とか、マスコミが好みそうな大風呂敷を広げてきたが、「敗戦」という現実を前に、心のバランスが保てなかった。「あれだけ騒がれたのに、これでおしまいか」。その日の夜、誰からともなく誘い合って、野球部寮近くの居酒屋で飲んだ。何を話したのか覚えていない。苦い酒だった。(つづく)【秋山惣一郎】