<WBC決勝:日本10-6キューバ>◇2006年(平18)3月20日◇ペトコパーク

日本がリードを4点に広げた直後の5回1死二、三塁。小笠原が左翼にフライを打ち上げ、捕球を確認した三塁走者の松中がスタートを切る。巨体を揺らし、本塁に滑り込んだ-。

06年3月、WBC決勝の5回、犠飛で生還する松中
06年3月、WBC決勝の5回、犠飛で生還する松中

日本が第1回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)を制した戦い。先発松坂が4回1失点で3勝目を挙げて大会MVPを獲得。1点差に迫られた9回は、全8試合連続安打をマークしたイチローの右前適時打で突き放した。最後は守護神の大塚が締め、王監督は宙を舞った。

瞬間最高視聴率56%を記録した歴史的な決勝戦。数々の印象的なシーンの中で、タッチアップで挙げた冒頭の6点目を記憶している人はあまり多くはないだろう。ただこの得点に、米国サンディエゴに集まった日本の報道陣はにわかに沸いた。なぜなら、一塁塁審には彼がいたから。ボブ・デービッドソン。「誤審騒動」で日本で最も有名になったMLB審判だ。

これほどタッチアップが注目された大会は、後にも先にもないだろう。第2ラウンドの米国戦。日本は3-3で迎えた8回1死満塁から、岩村の左飛で三塁走者の西岡がタッチアップ。本塁を駆け抜けた。米国の守備陣は西岡の離塁が早いとアピールしたが二塁塁審はセーフのポーズ。それを球審だったデービッドソンが覆した。何度も繰り返されたVTRでは離塁が早いようには見えない。チャレンジ制度がない当時、王監督の猛抗議も実らず、結局サヨナラ負けを喫した。

第2ラウンドを1勝2敗で終え、準決勝進出は絶望的になった。米国が勝てば日本の敗退が正式に決まる同ラウンド最終戦。メキシコが2-1で米国に勝利する大金星を挙げた。サンディエゴの中華料理店で吉報を聞いた王監督は「メキシコに感謝。神風が吹いた」と表現。関係者と食事した円卓には米国産のビール27本の空き瓶が並び、27アウトを飲み干していた。

まだ「侍ジャパン」という言葉が生まれる前の時代。「王ジャパン」には前年日本一になったロッテから8選手が選出され、ロッテ担当だった野球記者1年目の自分が同行する機会を得た。同時に「臨時松坂担当」として怪物右腕の動向も追った。松坂は決勝の舞台に「お金を払ってこのマウンドに立ちたいと思っても立てないですから」と感謝。この年オフにレッドソックスに移籍する直前の大会。米国の報道陣から繰り返された大リーグ移籍についての質問にも、常に毅然(きぜん)としていた。

「僕自身、メジャーリーグが最高のステージだと思っているし、目標に置いて普段はやっている。でも今回は自分をアピールしようとか、そういうつもりは全くない。日本が一番強いということをアピールしに来ている」。立ち上がりから飛ばした決勝は、最速154キロをマークした直球で押し、アマ最強軍団だったキューバを沈黙させた。

06年3月、WBC決勝でキューバを下し初優勝を決め胴上げされる王貞治監督
06年3月、WBC決勝でキューバを下し初優勝を決め胴上げされる王貞治監督

誤審あり、松坂、上原らの快投もあり、大会中に一気に注目度が上がった第1回WBC。決勝の夜、寝ずに仕事を終え、早朝便で帰国するためチェックアウトすると、いつもフロントにいたブロンドヘアの美女に声を掛けられた。「実は私メキシコ人なの。コングラチュレーション、ジャパン。私たちナイスアシストね」。残念ながら気の利いたセリフを返す英語力はなく、サンキューと繰り返して日本を代表したつもりで手を振った。【前田祐輔】