年月を経て、かつて取材した話の輪郭がはっきりしてくることがある。当時は価値が分からなかったことが、後に取材を重ねたことで理解できる瞬間がある。「ああ、そうだったのか~時を経て知るあのプレー、あの言葉 シーズン2~」と題し、記者が取材ノートをひもといていく。
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少しだけ、唐突な感じがしたのを覚えている。
17年11月28日、都内ホテルで楽天の星野仙一副会長の野球殿堂入りを祝う会が催された。約1100人も訪れる大盛況。締めのあいさつでマイクを握った星野さんが語ったのは「野球の未来」だった。400人ほどのアマチュア指導者も招待されていた。プロアマ一体で野球の環境作りを進める大切さを力説した。
プロ野球界のトップランナーとして歩んできた人生の晴れ舞台。もちろん、野球の未来を語るのは自然なこと。プロだ、アマだと分ける必要もない。おそらく勝手に私が、最後にプロ野球生活のとっておき話でも披露してくれるのかな、と期待していただけだったか。だから、アマチュア野球に力点を置いた内容に「唐突な感じ」がしたのだろう。
肉声を録音しなかったのが惜しまれる。当時はまだプロ野球取材で録音は一般的ではなかった。速記でメモをとったのだと思う。自分が書いた記事から、星野さんの発言を引用したい。
星野氏 プロ野球は皆さんが指導していただいた選手を、くじ引きしている。それだけじゃ、いけません。野球の底辺を広げるため、アマチュア球界とプロ野球に分け隔てがあってはいけない。「野球」でモノを考えないと。そのために、アマチュアとプロが1つになって、子供たちに、どう野球をやらせるかです。全国津々浦々、子供たちが野球ができる環境をつくってやりたいという夢を持っています。
星野さんの殿堂パーティーの締めに、これほどふさわしい話はないと思う。楽天で監督をしていたころも、野球の未来を、よく語っていた。「夢」で締めたのも星野さんらしい。唐突な感じがした自分の不明が恥ずかしい。
しかも、星野さんのあいさつが意味することを、あのときの私は本当には理解できていなかった。
10年以上、続けたプロ野球取材を離れ、19年からアマチュア野球を担当した。なんとなく聞いてはいたが、野球人口の減少を目の当たりにした。中学の野球部は減る一方。高校は1校だけでは9人そろえられず、連合、それも複数の学校でやっと成り立つケースも珍しくない。「派遣」という制度があることも知った。
一方で、プロとアマの間に横たわる溝も知った。学生野球資格回復制度の成り立ちから学んだ。イチローさんの活動に象徴されるように、星野さんが語った7年前より両者の協力関係が進んでいるのは間違いない。星野さんが語った夢を読み返し、ああ、そうだったのかと思う。星野さんが描いた未来に、この国の野球は近づいているだろうか?
もう1つ、ああ、そうだったのかと思うことがあった。紙面に載った写真。田淵幸一さん、山本浩二さんの盟友に挟まれ、鏡開きをする星野さん。まさか、あの日がお会いする最後になってしまうとは。約1カ月後の年明け1月4日、70歳で亡くなられた。写真の笑顔は、ずいぶん、ほっそりしている。帰る前にあいさつしたら、あの大きな手で無言のまましてくれた握手は力強かったのに。
もう1度、書こう。
「全国津々浦々、子供たちが野球ができる環境をつくってやりたいという夢を持っています」
本当は、立つのもしんどかったんじゃないかな。気持ちを振り絞った最後の訴えだったんだ。そう思うと、星野さんの夢が、ずしんと響いた。【古川真弥】





