山口県は夏の選手権12度出場、宇部商の存在を避けて通れない。過去、同県で春夏合わせて延べ128校が甲子園に出場したが、私立校はわずか17。1963年(昭38)センバツで優勝した下関商を含め公立校の強さが目立つ。「ミラクル」で甲子園を沸かせた宇部商を率いた名将、玉国光男の指導に強さが象徴されている。

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 「ミラクル宇部商」。甲子園での戦いぶりから生まれた言葉だ。83年夏2回戦。帝京(東東京)相手に1点ビハインドで迎えた9回裏無死一塁、前の打席で本塁打を放っている浜口大作にバントを命じることなく強攻策で逆転サヨナラ2ランの劇的勝利を飾った。「玉国宇部商」の甲子園初勝利。出発点からすでに神がかっていた。

 88年夏3回戦では、東海大甲府(山梨)相手に1点を追う9回表1死二、三塁から後に横浜(現DeNA)に入団した1年生宮内洋が「代打逆転本塁打」を放った。土壇場で試合をひっくり返す。高校野球ファンならたまらない勝ちっぷりは、今でも語り継がれている。すでに宇部商の監督を退いている玉国も驚くほどだった。

 玉国 とにかくあきらめないことを選手に植え付けさせた。練習試合から負ければ「罰則」を与えた。みんなでランニングですよ。選手らはそれを嫌がったから最後まで必死だった。練習試合も甲子園の試合も同じこと。それを3年間、植え付けさせるために練習試合をどんどんさせたんです。

 88年センバツは強烈だった。3回戦、中京(現中京大中京=愛知)のエース木村龍治(現巨人投手兼トレーニングコーチ)の前に0-1で迎えた9回表の1死まで完全試合を許していた。しかし、初安打を足がかりに2死二塁とした後、内野手の坂本雄の逆転2ランが飛び出してミラクル勝利を収めた。絵に描いたような土壇場での逆転劇。紛れもなく選手の粘りの結果だった。そして、強豪の私立校に渡り合い続けた秘密は「作戦」にある。

 玉国 甲子園だからと特別なことをしないことです。特別なことをすれば選手が動揺する。練習試合でやってきた通りにやることですね。だから強豪私立に勝つために、あえてバント作戦ではない点の取り方を練習してきた。

 「玉国宇部商」は春5度、夏11度甲子園に出場。春は8強、夏はあの「KKコンビ」率いるPL学園と決勝で激闘を演じた85年夏の準優勝が最高成績だ。98年夏2回戦(豊田大谷戦)では延長15回の激闘の末、エース藤田修平のサヨナラボークで無念の敗退。ミラクル勝利だけでなく、悲劇を味わってもいる。全国優勝こそないが、山口県が誇る名門公立の「レジェンド」宇部商。センバツで優勝したことがある下関商を含め、脈々と続く公立校の「伝統」も受け継がれてきた。(つづく=敬称略)【浦田由紀夫】

 ◆山口の夏甲子園 通算73勝69敗。優勝1回、準V6回。最多出場=宇部商12回。

83年8月、激戦を繰り広げた帝京対宇部商
83年8月、激戦を繰り広げた帝京対宇部商
88年8月、東海大甲府戦で代打逆転3点本塁打を放った宇部商・宮内
88年8月、東海大甲府戦で代打逆転3点本塁打を放った宇部商・宮内