献花に訪れた一般参列者の行列ができていた。3月28日午後、闘将・星野仙一を偲ぶ関西での「お別れ会」が大阪市内で営まれ、朝から式典に列席する阪神ファンが並んでいた。

 長々と続いた暗黒時代から応援するタイガースをリーグ優勝にまで導いてくれた人。今年1月4日に享年70歳で逝去された「虎の救世主」への思いを込めた気持ちの表れだ。球団関係、招待者を合わせ、この日2780人が参列して別れを惜しんだ。闘将というより、3チームを頂点にまで導いた名将。監督と広報部長としてともにペナントレースを戦った1年間を振り返ってみることにした。

 会場に一歩足を踏み入れると、白い花で飾られた祭壇の中央に阪神星野監督。左に中日星野監督。右に楽天星野監督が並んでいる。阪神のユニホームを着たのは2002年だった。私が同年定年退職。一緒に戦ったのは短い期間だったが、不思議なものだ。祭壇にじっと目を凝らしていると同監督、なぜか阪神タイガースのユニホームが一番ピッタリ合っている。自分が阪神に在籍していたひいき目だろうか。いや違う。監督は子供の頃からの阪神ファン。あこがれの縦縞ユニホームである。こうした意識していない時の気持ちは、意外に正直なもの。

星野仙一氏お別れ会で弔辞をのべる金本知憲監督(2018年3月28日撮影)
星野仙一氏お別れ会で弔辞をのべる金本知憲監督(2018年3月28日撮影)

 顔を見ていると、いろいろな出来事が頭に浮かんでくる。故久万元オーナーの「これから星野と交渉を始める」から要請劇はスタートした。ビックリもいいところ。中日の生え抜きで、同チームを退団した年である。状況から見て拒否される可能性大。万が一、失敗しようものなら、この世界のほとんどが「あいつに断られたから俺かい」と思う人ばかり。心配の方が先に立ち、同元オーナーにその旨を伝えると「大丈夫。必ず来てくれる」自信たっぷり。取り越し苦労に終わってホッとしたが、星野監督のやる気は就任早々から十分伝わってきた。「本間さんすいません。藤村(富美男)さんと村山(実)さんのお墓参りをしたいので、お墓の場所をお願いします。それとOB会長にお会いしておきたいので、手配して下さい」。この2件の依頼で「やる気は本物」と確信した。自分のことしか考えていない人は、ここまでの気遣いはできない。

 キャンプの時期が来た。星野監督は球場を往復する車を自分で手配していた。その車を高知・安芸市まで運転して運んだのは私であり、キャンプ地で監督を乗せて球場通いした運転手も実は私でした。だから、お陰様でいろいろな話ができました。野村監督が久万オーナーとの話し合いで進言してきたこと。タイガースの監督という立場を「このチームの監督はマスコミとの関係を考えると、12球団で一番大変な監督だと思う。巨人とか中日の場合は親会社がマスコミですから、まだ救ってもらえるケースはあるが、タイガースの場合は全スポーツ紙が一斉に敵に回りますから」などなど、多岐にわたって話ができた。

 「分かりますわ。大変ですね」の返事をしていた星野監督だが、この人のすごいところは即、手を打ち解消していくこと。「これから毎日トラ番と朝食会を行い、マスコミも戦力にしますから」中日の監督時代から続けていたお茶会は、単なるマスコミの接待ではなく星野野球を理解してもらうのが目的。私の経験から察するにこの方針は大正解。連日のコミュニケーションで星野野球は理解されたのだろう。その証しは各紙トラ番の「星野叩き」は一度もなかったことで分かる。

巨人打線を6安打に抑え、開幕戦完投勝利を納めた阪神井川慶を抱きしめて喜ぶ星野仙一監督(2002年3月30日撮影)
巨人打線を6安打に抑え、開幕戦完投勝利を納めた阪神井川慶を抱きしめて喜ぶ星野仙一監督(2002年3月30日撮影)

 肝を冷やしたのは2002年、東京ドームでの対巨人開幕戦。先発井川が好投。勝利が見えてきた6回だった。突然星野監督が顔をゆがめた。苦しそうだ。不整脈である。ロッカーで応急処置をするも、なかなか顔色は戻らない。舞台裏は壮絶だったが、この試合に懸ける意気込みは「大丈夫ですか」の声にうなずくと、再びベンチへ戻って開幕勝利の瞬間をしっかと見届け、何ごともなかったように完投した井川を出迎えて抱きしめたことで分かる。勝ったとはいえ明日がある。無理はさせられない。確認のつもりで「監督--。インタビュー断りますよ」と声をかけると「いや、大丈夫です。絶対やりますから」。体調のことなどみじんも見せない。人に弱みを見せない最たるところを見た。まさしく星野である。強い人だ。

 星野さんには本当に感謝しているし、頭の下がる思い。野村さんのゴタゴタ辞任のあと、よくぞ阪神へ来る気になってくれたこと。さらに、いい方向へ進み出していたノムさんが開いた道を突き進み、オーナーや本社社長にチーム改革の必要性を植え付けてくれたこと。持ち前の熱血指導で眠っていた虎を、牙をむいて戦うチームにしてくれたこと。ありがとうございます。私の退職後、試合のある日に甲子園球場へ行くと、よく言われたね「本間さん-。何でもう1年いなかったんですか」と。これだけは、どうあがいても無理な話。優勝旅行はオーストラリアでしたね。ゲスト参加OKだという。退職した年の優勝。腹が立つので自費で参加した。星野監督「やっぱり来ましたかあ」。ニヤッと笑って歓迎してくれた。チャーター便。ゆったりした旅行ができた。本当に、ありがとう。

 まだまだ書き足りない。続きはいつかまた-。【本間勝】(ニッカンスポーツ・コム/野球コラム「鳴尾浜通信」)

阪神V旅行先の豪州でリフレッシュする星野仙一さん(2003年12月16日撮影)
阪神V旅行先の豪州でリフレッシュする星野仙一さん(2003年12月16日撮影)