100回目の夏に、史上初の奇跡が起きた。第100回全国高校野球選手権大会の2回戦4試合が甲子園で行われ、済美(愛媛)の1番矢野功一郎内野手(3年)が2点を追うタイブレークの延長13回裏無死満塁、右翼ポール直撃の劇的アーチを放った。

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 26年後の再戦は、あまりにも劇的だった。済美の中矢太監督(44)は、言葉を失っていた。「苦しい試合になると想像していたが、こんなゲームになるとは…。ビックリしています」。明徳義塾(高知)出身で、最後の夏は92年。「松井の5敬遠」のメンバーで、星稜戦は三塁コーチと伝令役を務めた。チームは違うが、指揮官として初対決。今回も1点を争う接戦だった。

 組み合わせが決まった時は特別な意識はなかったが、前日11日にふと思った。「そういう状況が来たら、俺は敬遠するのかな」。ミーティングでナインに語りかけた。「みんな知っていると思うが、先生が現役の時にこういう話がある。勝つための最善の策として、そういう状況が来たら、やるよ」。相手は優勝候補。いかに倒すか。ナインに気持ちを伝えた。

 当時、36歳の馬淵史郎監督は勝利至上主義と批判された。中矢監督は恩師の思いを語る。「やるからには勝たないといかん、でもそれによって、負けても学ぶところはある、と。負けてもいい、という勝負はない。あの試合は馬淵野球の神髄のようなゲーム」。この日、敬遠を指示するような展開にはならず、終盤は壮絶な戦いになった。「甲子園に出て、星稜さんとこういうゲームができたことに喜びを感じる」。26年ぶり勝利は、中矢監督にとって、再び大きな意味を持つものになった。【田口真一郎】